星詠亭奇談第二部
Second Stories

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4. 風の中の「沈黙」
                                       1

 彼女は動き出した。久しぶりに、調整用の月光を十分に浴びて。
 理想は未だあるが、護るべきものはもはや無い。
 前回はたまたま都合よく、彼女と彼女との理想が求める環境が一致したものの、こ
 れからはそのような幸運は期待できないであろう。
 かといって現在、彼女自身がそれを行うにはまだ、あまりにも力が足りない。
 もっと喰らわねば。砂と化さなければ。
 それが、理想の実現にもなるのだから。
 やがて控える戦いに向けての糧ともなるのだから。
 彼女の背面に光が集まり、巨大な翼を形成する。
 数回それを打ち振って調子を確かめてから、彼女は思い切り飛翔した。
 構造物を突き抜け、岩塊を突き抜け、青白い光に満ちた世界へと。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
星詠亭奇談
第二部第四回
風の中の「沈黙」

Episode 1
[理想と現実]
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 薄暗い闇の中、ただ蝋燭の明かりだけが微かに浮かぶ。
 「いい、これでわかるのはあんたの望んでいることだけよ。決して、そのものずば
 りが分かる訳じゃないよ。ただ、その関連性を探るだけだからね」
 香樹、という名の月姫はそう言って、視線をまっすぐこちらに向けた。
 因縁を付けたお礼、という事で無理矢理に彼奴の居所を占わせようとしたのだが。
 どうやらいかに月姫とはいえ、素直にはわからぬらしい。
 まあ、自分にとっては指針ができるだけありがたいが。
 今の目的、それは彼奴の死に目に立ち会う、ただそれだけなのだから。
 香樹の目がすいっと細まった。その目の光に魅入られたかのように自分の瞳もそれ
 を追って細まる。
 「その人のことを思って。強く、強く。そうすればあんたとその人の繋がりは強ま
 り、私にも見えるようになる。ほら、だんだん見えてきた。あんたとその人とを結ぶ
 糸が…‥ほら…‥」
 一心に彼奴の事を思う。自分を騙し、裏切った彼奴のことを。
 そう、身の内が震え、どうしようもない衝動がわき上がってくるまで、めちゃくち
 ゃにしてやりたいという思いと、それを冷徹に見つめる自分の存在を意識するまで。そ
 んなに逸ってはいけないという理性を無視して、ただひたすらに探しに行きたくなる
 気を押さえて。暴走しようとする感情の手綱を必死で制御しながら。
 彼奴を許さない。
 ただ、それだけのために。

                                       *

 「ふに?」
 カエデは道の真中で首を傾げていた。
 「おかしいでしね。おいしいにおいがしたら、ぼくきゅうにおなかがへっちゃった
 でし」
 本能に導かれるかのように、そのままアクルックのメインストリートに座り込む。
 カエデの目の前にあるのはおいしそうな串焼きの屋台。
 と、急にその屋台が崩壊した。
 「うにゃ?」
 単に、街中だという事を考えずに全速力で逃げてきた愚かな錬金術師が、屋台に激
 突した結果なのだが、カエデがそんなことを気にするはずはない。
 カエデの興味は、屋台から転げ落ちた一本の串焼きに集中していた。
 思わず、顔がにんまりとほころぶ。
 「おちちゃったらもううりものじゃないでしよね。ごみでしよね。ぼくがもらって
 もいいでしよね…‥」
 座り込んだまま器用にずりずりと近づく。
 ふと目を上げると、そこに細長い瞳があった。
 「ぼくのでし」
 手を伸ばして言い聞かせようとするが、目の前の猫はどかない。
 それどころか前足を串にかけ、はっしばかりにらんでくる。
 「…‥ぼくのでしよ」
 負けずにカエデもにらみ返す。
 お互い一歩も引かずに、串焼きを挟んでにらみ合いが続く。
 戦いは長引きそうであった。

 トパーズは肩に猫をのせたまま、買い物をしていた。何のことはない、たんなる食
 料品の買い出しだが、月に一度の今の時期はどうしても出来合いのものが多くなるの
 で大変なのだ。いつもならばどんな材料からでも美味な食事をつくりあげる自信はあ
 るのだが、特定の時期だけはどうしようもないくらい出来が運に左右されてしまう。
 そんなわけで、屋台を見て回っていたのだが、ふと目を離すと猫がいない。
 「ベルガー、どこに行ったの。ベルガー」
 ようやく探し当てると、なぜか猫は串焼きを挟んで少女とにらみ合っていた。
 「ほら、だめよ」
 不満そうな猫を抱き上げ、少女を観察する。少女はおなかがすいているのか、一心
 不乱に串焼きにかぶりついていた。
 その様子をみておもわず笑みが漏れる。
 「ねえ、ちょっと…‥」
 「ん?」
 串を加えたまま少女が振り返る。
 「そんなに、おなかがすいているの?」
 トパーズはおもわずたずねた。なんとなく、このままにはしておけないと思ったか
 ら。
 案の定、大きく縦に首が振られる。
 「なら、あたしが食べさせてあげるわ」
 「ほんとっ!」
 「ええ。あたしはトパーズ、よろしくね」
 「えとね、ぼくカエデ」
 少女は顔全体でにっこりと笑った。

                                       *

 ハイデマリオはディハヌーを仕立て、辺境をひた走っていた。
 目的地は、辺境。人知の及ばぬ地の果て。

 「ふぅん、、なんだい、これ?おかしなものがいっぱい立ち並んでいるよ。ああ、
 なるほど…‥これがその原因だね。でも、あんたには関係ないな。その人がいる場所
 は…‥と。うん、とても深くて暗い所。そして何か大きなものと向かい合っているよ
 。とても強力で、それでいて少し悲しいもの。それを相手にしてなにやらやっている
 よ」
 「そんなことはどうでもいい、問題は、彼奴がどこにいるかだけだ」
 「あわてなさんなって。せっかくの像が逃げちまうじゃないか。おお、そうなんだ
 ね。場所は辺境だよ。そこに向かって真っ直ぐにあんたの世界線は延びている」
 香樹の目が開かれ、そして占いは終わった。

 「辺境…‥」
 そこはハイデマリオにとって苦い思い出を含んだ土地だ。己の理想に従ってルーン
 に立ち向かい、そして彼奴が裏切り、からくも生き延びた場所。あの時のハイデマリ
 オはティスを護ろうとしたが。もし、そこに彼奴がいるならば。
 ハイデマリオはなにであろうと敵とするだろう。彼奴を倒す障害となるならば。
 と、突然、鋭い音が操縦装の内部に響きわたった。何か、一定以上の大きさを持っ
 た生物や不振な物体が近くにあるという、一種の警報である。
 「…‥なにもの、だ?」
 ハイデマリオはいったん操縦装上部から外に出て、見晴らしのいい場所から、なに
 があるかを探ってみる。
 先天的なものと後天的に訓練された眼、騎士の目はたちまち進路上に位置する人影
 を見つけた。
 「ルーン風の装束だな…‥錬金術師か。なぜこんな場所に…‥」
 そこまでつぶやいて、ハイデマリオは突然剣を抜きはなった。
 「ヘクト!!」
 直感的にそう判断し、ハイデマリオは全速力で目標に向けて走った。さすが、騎士
 だけあって、瞬く間に間合いがつまり、細かいところも視認できる距離まで近づく。
 「間違いない、その雰囲気、ヘクトと見た!覚悟!」
 人影は構えるでもなく、ただ立ったまま、ハイデマリオに向かって指を一本あげて
 見せた。
 「あなたは間違いを犯していますよ。まず一つ目、私はヘクトという者ではありま
 せんよ、フフ…‥」
 「おのれ、戯言を!」
 両者の距離がさらにつまる。
 「二つ目」
 指がまた一本立てられた。
 「私は今のところあなたの敵ではありません」
 「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 ハイデマリオはその人物に向かって思い切り剣を振り下ろした。
 「三つ目。あなたでは私には勝てませんよ」
 「なにっ!」
 その人物はハイデマリオの後ろに移動していた。三本目の指を立てた姿のまま、ハ
 イデマリオが剣を振り下ろして体勢を立て直すその前に。騎士の中でも腕の立つハイ
 デマリオの速度を上回る速度で。
 「…‥速い」
 通常、錬金術師と騎士の速度を比べた場合、まず騎士の方が勝つ。今回のように出
 会い頭での戦闘の場合、まず錬金術師の反応速度が追いつかずに、切られるのが普通
 だ。それをさけるためには、予め予測して転移をするか、または障壁を張るしかない
 。だが、それも呪文を唱えられればの話、話していては当然そんなことはできない。
 ハイデマリオの驚愕を、その人物は鼻で笑って聞き流した。
 「あなたが単に未熟なだけですよ。知は力なり、いかに生まれつきの体質が凄かろ
 うと、訓練でその力に磨きをかけようとも、力の本質を知らずして使う力は弱いもの
 。ことわりを知り、その力の効率的な生かし方を知ればより多くの力を使うことがで
 きるのですよ。ふふ、ハイデマリオさん…‥」
 「…‥何故、自分の名を知っている」
 「そんなことは別にどうでもいいことでしょう。私はあなたが何者だかを知ってい
 る。どんなことをしようとしているのかも知っている」
 意味ありげにニヤリとほほえみ。
 「そして、どうすればいいのかも知っている」
 「なんだと。戯れ言を言うか」
 「いえいえ、信じていただけないのなら例を挙げましょうか?あなたは理想を持っ
 ていた。あなたは裏切った者を追っている。あなたは自身がなにを期待されているか
 をおそれている」
 「自分は恐れてなどいないぞ!」
 「いいえ。あなたは恐れている。裏切られたときの不安と怒りを、他人が追い求め
 る理想への追求を、兵器として使われる騎士としての力を、それでいながら私にすら
 勝つことのできない己の無力さを。ふふ、あなたは恐れている。自分自身をも」
 「違う!」
 「では何故、追い求めるのです。その人物を、裏切った者を。復讐という動機付け
 は確かにあるでしょうが、それだけで言い表せる以上の行動をあなたはしている。復
 讐を目的とし、追い求める理想を横に置き、追いかけるのは何故ですか。理想に自身
 のあるならば、真実それが己の道と思うならば、なにも裏切り者の一人や二人放って
 おいてもいいでしょうに。復讐という道を選ぶことによって、あなたは自分の理想を
 捨てたのです」
 「違う!」
 「己の理想に自信を持てないから、それが正しいのかどうか、周囲から認められる
 かどうかがわからないから、それを横に置いて、復讐という行為にのめり込んでいる
 」
 「違う!」
 「ならばあなたの理想とは何ですか。裏切り者には死をくれる原始的な世界です
 か?騎士が戦うこともなく、ただ捨て置かれて省みる者もない安穏とした世界ですか
 ?それとも血で血を洗う流血の世界ですか?騎士等のいない、つまらない世界ですか
 ?」
 「違う!違う!違う!」
 ハイデマリオは激情に任せて斬りかかった。だが、いくど剣を振るってみても相手
 の体にかすりもしない。常にハイデマリオの背後をとり、不気味な含み笑いだけが感
 じられる。
 「違う、違うのだ…‥」
 ハイデマリオは地面にぺたん、と座り込んだ。
 「ならば…‥」
 なおも背後から怪しい声は語りかける。
 「それならばそれを実践しなさい。あなたのその理想とやらを。あなたが本当にな
 したいと思っていることを。そう、邪魔する者は倒してでも」
 くすり、と笑い声が聞こえる。
 「あなたが参加すれば、また世の中は面白くなりますからね、くくく…‥」
 声は徐々に風にさらわれ消えてゆき、ただ、呆然としたハイデマリオだけが残され
 た。
 そのそばに転がる、一枚の羊皮紙と共に。

                                       *

 「で、なぜあんたたちまでここにいるわけさ?」
 大鍋一杯の料理を山と盛りつけながら、トパーズは冷たい目でその錬金術師をにら
 んだ。
 言われた方は平然と料理を受け取り、そのまま口に運んでいる。
 「まあまあ、料理は大勢で食べた方がおいしいと言いますし」
 「相手にもよると思うんだわ」
 もう一人、その隣で料理をぱくついている女性にも目を向ける。
 「まあ、たまたまこうして卓を囲んで食べているのも何かの縁と言うことで…‥だ
 めやろか?」
 「駄目」
 言い終わるのを待たずに、はっきりきっぱりと言い切る。
 「大体、あたしはこのカエデだけを招待したはずよ。それが何故、たまたま通りす
 がりの人まで招待しなくちゃいけないわけ?」
 「んぐ…‥ぼくはどっちでもいいでしよ」
 「ほら、こうしてカエデはんも許してくれとることやし、ここは一つ姉さんの大盤
 振る舞いと言うことで…‥」
 「そうそう、そういうことで。それに屋台につっこんで、カエデさんに出会うきっ
 かけを作ったのも私ですし。なにより、屋台の弁償で路銀を使い果たして、今一文無
 しなんですよ」
 凪、と名乗った女性の意見に錬金術師――たしかコールンとか言った――が同調す
 る。あまり広くない家は、この二人がいることによってさらに手狭になっていた。
 もちろん、そうしている間にも料理をかき込む手にいささかのゆるみもない。この
 時期のトパーズにしては珍しいことに、今回の料理は非常にうまくいったらしい。三
 人は順調に、山と積み上げた料理を片づけつつあった。
 トパーズは思い切り大きなため息をついた。
 「いい、あたしが呼んだのはカエデだけなの。ほかはお呼びじゃないの」
 なら、何故そんなに大量の料理を作ったかと聞かれれば、単にカエデがあれもこれもと食材をねだるので、材料を大量に買い込みすぎてしまっただけである。
 カエデは元気いっぱいにちらかしながら、凄い勢いで食べていた。おなかがすいてい
 るというのは誇張ではなかったらしい。
 そして、ほかの二人は…‥トパーズの言葉も耳に入らず、もうただひたすら一心に食
 べ続けている。
 トパーズはもう一度おおきなため息をついた。

                                       2

 虚ろな、とても虚ろな場所。
 無価値な、静寂に包まれただけの闇。
 ただ、青白く照らされているだけのそんな場所。
 「出てこい、俺がわざわざきてやったんだ。出てこないか!」
 明かりはわびしく灯り、外界なら威勢良く響くはずの声もただむなしく消えてゆく
 のみ。
 「このシャオム・シュトラールが出てこいと言っているんだ。ティスだかなんだか
 知らんが、誰か出てこい!」
 崩れ落ちた空洞は人一人無く、ただ寂しい反響を返すのみ。
 「くそっ、誰もいないのか。まあ、それもいいさ。つぶれたならばそれでいい。強
 力な騎神で独立をしようとするんだかなんだか、とにかく潰れたなら、それこそいい
 気味だ。大体辺境に組織をつくろうってのが気にくわねぇ…‥なんだ?」
 (汝れは理想を持っているか?)
 「なんだ、頭の中でわめきやがって。てめぇがティスの錬金術士か?」
 (汝れは人を束縛するか?)
 「うるせぇ、とっとと出てきやがれ!」
 (汝れは改変を、絶対なる革命を望むか?)
 「俺はな、あんたらみたいな勝手に人を傷つける輩が許せねぇんだ。勝手に人を使
 い、そして見捨てる。どうして自由のままにしておかねぇんだ!革命など知るか。直
 接文句を言ってやるから、とっとと出てこい!」
 (汝れは理解しなかったか)
 「ごちゃごちゃ言ってる前に出てこいってんだ!」
 (ならば、我になるがよい。我が血肉になり、砂と化すがよい)
 シャオムの目の前に突然現れたのは、騎神。その言葉で言い表すことが冒涜になる
 のではないかと恐れてしまうほどの美しき騎神。わずかに光の中に浮かび上がる姿で
 すら、その姿に恐れを感じてしまうほどの騎神。
 その左胸部がゆっくりと、砂をこぼれさせながら開いた。中に見えるのはただ、黄
 金色の砂だけ。残りは闇が占めている。
 「あ、あああ…‥!」
 シャオムはわけも分からず恐ろしくなり、明かりを取り落としたのにも気づかない
 ままに、ただ一目散に逃げだそうとした。
 だが、いくら逃げようとも、一向に前に進まない。
 やがて、騎神の巨大な手がシャオムをつまみあげ、左胸部へと導いた。
 やがて、虚ろな場所は静寂を取り戻し、風は残った明かりを吹き消した。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
星詠亭奇談
第二部第四回
風の中の「沈黙」

Episode 2
[絶対改変予兆]
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 その四人はやけに騒がしかった。
 賑やかな星詠亭の中でもかなり目立つ。
 錬金術師が三人に、月姫。なかでも月姫の美しさといったらそれはもう凄いものだ。
 水準以上の容姿を誇る月姫の中でもひときわ美しく、ほとんど人では無いかのように
 思える。…‥その言動を見なければ。
 「コウマっ!」
 「わかってるよ。まかせろって」
 ポニーテールの女性に言われて、やけに気障な男が月姫をふんじばろうとする。
 「まぁ、困りましたわねぇ」
 とろん、とした声でやはり錬金術師であろう少女が立ち上がった。
 そのまま何故かぐるぐるとロープを月姫に巻き付けてゆく。
 「…‥!…‥!!」
 猿ぐつわまでかまされ、完全に無力化したと確認した時点で、ようやく彼女たちは
 席に戻った。もちろん、月姫は足下に転がしてある。
 錬金術師が月姫を誘拐したのであろうか。いや、違う。少なくとも彼女たちの縛り
 方に悪意はなさそうだ。それに、縛る方も縛られる方もいかにも手慣れていた。様子
 からさっするに、この程度のことはよくあることらしい。
 「で…‥」
 「ああ、ティスのことだな」
 「コウマ、わかったの?」
 コウマと呼ばれた男はふぁさっと前髪をかき上げて見せた。
 「ふっ、先ほども言ったが、オレサマの辞書に不可能という文字はないのだ」
 「はいはい、能書きはいいから」
 「ふん、愚民はこれだから困る。こういうものはまずは順番に話していかないとか
 えって効率が悪いものなのだよ」
 「で、見つかったのかい?」
 「…‥いや、まだだ」
 「…‥!!!」
 月姫がなにか呻いた。
 軽く足でつっこんだ――つもりなのだろう。脇腹をとがった靴先で蹴り上げて黙ら
 せておいて、コウマは自信たっぷりに微笑んで見せた。
 「ともかく、だ。たまにはあんた達で考えるのもいいだろうと思ってな。使わない
 脳味噌はひからびてしまうといけないし、わざわざこのオレサマがこうして考える機
 会を作ってやったと言うことだ」
 「…‥?」
 「つまりね、ティエ。この阿呆は、さんざん自慢ばかりしたけれども、結局の所な
 にもわからなかった、ってことなの。わざわざ珠璃を黙らせてまで真剣に聞いた私た
 ちが馬鹿みたいだわ」
 「それはひどいな、何処のどいつだ。そのようなことをした野郎は。このオレサマ
 の世界征服の第一歩に血祭りにしてやろう」
 「…‥あんただって」
 「リセさん、がんばってくださいですの。きっと見つかるですの」
 「…‥!!!!!!!!!!!」
 「なにが、よ」
 「…‥…‥…‥!!!!!!!!!!!!」
 「ですから…‥えっと、えっと…‥ですの!」
 「…‥…‥…‥…‥!!!!!!!!!!!!!!!」
 「ああ、五月蠅い」
 「そ、そんなに蹴って…‥仲がよろしいんですのね」
 「…‥…‥!?」
 じたばたじたばたと芋虫が暴れる。
 「冗談だろ。オレサマとこいつ?」
 さらに蹴りが加えられる。
 「!!!!!!!!!」
 「ええい、邪魔だ」
 さらに追加される蹴り。
 「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 「…‥助けるんじゃなかった」
 騒ぎをそっと抜け出し、リセはちゃっかりと一人カウンターの方に移って親父相手
 にぼやいていた。
 「隣、よろしいでしょうか?」
 声をかけられて振り向いてみると、占い師らしい男が立っていた。
 「ええ、どうぞ」
 「では失礼します」
 男はカズハ、と名乗ると、占いについて様々な語り始めた。自然と、聞くともなし
 にそれをリセが聞くかたちになる。
 「…‥と、いうわけで。実に興味深い星の人もいるわけなのですよ。いや、実に思
 面白い運勢でしてね、時間が許すかぎり見守っていたいと思わせるほどでしたよ」
 「運勢、か…‥」
 リセの目は自然と先ほどまでいた喧噪の仲に向けられている。
 「そうだ、ちょっと占って差し上げましょう」
 「え?」
 「いえなに、お代はいりませんよ。ちょっとした暇つぶしです。なにを占いましょ
 うか、面白そうなものがいいのですけど。そうですね…‥」
 カズハの目がちらり、とリセの視線の先を見る。
 「…‥ティスの運命、などどうでしょうか?」
 「!」
 リセは身体ごとカズハのほうに振り向いた。
 「おやおや、驚かせるつもりはなかったのですが。なに、最近よく噂されているで
 しょう。それで、ですよ」
 リセの凝視を軽く受け流し、カズハはカウンターの上にカードを並べ始めた。何枚
 かをめくり、配置し、リセには分かりがたい象徴を読んでいる。
 「…‥ふむ。ぼくには少々眉唾物に思えますが」
 「え…‥?」
 なにやら困ったような調子に、リセは思わず引きつけられた。
 「崩壊の相が出ているんです。それだけならば別に予想できないことでもないんで
 すけれども、その中からさらに力の象徴が出ている。そして、その行く先に王の死が
 暗示されています。つまり…‥」
 「つまり?」
 「つまり…‥ぼくにはどうしてもこれが、ティスが滅亡し、そこから何か危険な者
 が出てくるとしか読めないんです。でも、それじゃ王の死の意味がわからない」
 「どういうことなの?」
 「ようするに…‥」カズハは困惑していった。
 「国の栄枯盛衰を決めるほどのものがティスにはある、ということです」


 中立都市群であるフィーラを境にして、それは広がっている。
 遙かに広がる、危険な大地――辺境。
 豪の人間達ですら、足を踏み入れることをためらう領域。
 貪欲な商人達ですら、できるかぎりさけたがる領域。
 だが、このような土地にも踏み込んでいく者達はいる。
 ある者は遺跡より、力をえんとするため。
 ある者は財宝を見つけ、一攫千金をねらうため。
 ある者は己の存在意義を確かめ、明日を探すために。
 だが、それもすべて、一部の者達のこと。
 常人ではない者達故のこと。
 依然として辺境は人間の物ではなかった。
 とある、事件が起こるまでは。
 月姫が神那より一人、秘奥を持ち出して辺境に逃げた。
 人間のための領域という、理想のために。
 そして、その閉ざされた場所にはさまざまなものたちが押し掛けようとした。
 騎士、錬金術師、月姫。そして、国家が。
 その、理想のため故に。
 だが、それも今はない。
 ある時を境に、その領域に対する噂は途絶えた。
 いかに辺境を捜そうとも、なにも出てはこなかった。
 ただ、そこには何も無かったかのように、風が吹くだけ。
 希望は、希望足り得なかったのだ。
 今響きわたる物は、ただ沈黙のみ。
 その背後に、争乱の種子を宿しながら。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
星詠亭奇談
第二部第四回
風の中の「沈黙」

Episode 3
[風の中の沈黙]
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 アル・カツィンは極限まで緊張しながら、慎重に言葉を選び、報告を続けた。
 もし、些細なことでも間違いを犯せば、自分のみが危ないと分かっている故に。
 ここは、ルーンの奥部。至高の玉座が目の前にある。そして、それに座る彼もまた。
 ルーンの頂点に立ち、錬金術師組合を掌握している彼が、目の前に座っている。
 報告しているのは、ティスのことだ。彼が命がけで手に入れて生きた、その情報。
 息詰まる時間が過ぎ、やがて報告を終えたアル・カツィンに向けて、一つの問いが
 なされた。ただ一言、その報告に偽りはないな、と。
 アル・カツィンが退出した後、彼は一人つぶやいた。
 そうか、そうだったのか…‥それ故に…‥。
 彼はゆるりと立ち上がると、おもむろに転移した。行き先は、錬金術師組合最深部。
 何人たりとも立ち入ることを許されない、騎神のすべてが納められた場所。
 その巨大な部屋の中には、何もない。ただ、一体の騎神――そう呼ぶのすら躊躇う
 雰囲気を放つもの――を除いて。
 そして、それこそが、ルーンの反映のすべての源でもあり、錬金術師の操る基幹技
 術の源でもある。
 彼はふわりと騎神の右胸部の前に浮かび上がった。先ほど頭の中で編み上げた呪文
 を唱えつつ、右腕を装甲に差し伸べてみる。それは、予想されたとおりに、何の抵抗
 もなく彼の腕を飲み込んだ。
 冷厳な彼の表情にわずかに笑みらしき物が浮かぶ。
 そのまま彼はためらいもなくその身を投げ出した。騎神の胸の中に。
 後に残ったのは、ただ沈黙のみ。
 そして、変革は進み始める。

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Presented by SilverRain