星詠亭奇談第一部
First Stories


1.争乱
===== エドゥルド・デイン

 その朝、フィーラ随一の「まともな」宿屋である星詠亭は混雑していた。
 あちらにはどう見てもルーンの騎士崩れ、かとおもえばこちらにはあきらかにわかる
アーミテイツの騎士。隅っこの方では麗しき月姫が食事をしているし、驚いたことにフ
レグランス・セラピストらしい人物まで混じっている。
 むろん、普通の人間は一人もいない。
 星詠亭は特殊な者達が比較的安心してくつろげる場所であった。一般人が立ち入るに
は勇気のいる、フィーラ以外ではまず成り立ちそうにない宿屋である。他の国で商売し
ようとしたら客の少なさでたちまち潰れてしまう。ごく少数の者達だけが安心して出入
りできる数少ない場所、それがこの星詠亭であった。
 だから、混んでいると言っても各卓の間は小声で会話を交わせばとなりに聞こえない
程度には隙間が開いている。
 もっとも、騎士、すなわちフューラー、満ちる者という名を冠された鋭敏な存在にと
ってはその程度の隙間はないに等しかったが、騎士組合の定める不文律もあり、ごく自
然に周りの音を意識から閉め出していた。
 だが、今朝はいつもに増して騒がしい。
 頼んだ食事が届くのを待ちながらも、心は自然に回りの会話に飛んでいた。
 何かが起きる予感と共に。


 「水晶剣騎士団員エドゥルド・デイン、我が名の下において勅命を下す」
 「はっ」
 デインはひざまづいてかしこまった。
 「神那より出奔せし月姫、及びその所有すると思われる騎神を奪取せよ!」
 「はい」
 デインの顔は興奮のあまり紅潮している。
 「それはフィーラに向かっているという。ただちにフィーラに赴くがいい」
 騎士団長であるキシェが重々しく言った。

 「とはいったものの・・・」
 デインはいきなり困惑していた。
 フィーラに赴いてはや数日。一応騎士組合に顔は通したものの、そこからいっこうに
捜査が進まない。
 手がかりは、団長が事前にまとめてくれたレポートのみ。
 それも、羅風燕妃女奈(らふうえん・ひめな)という名前と似姿が描かれているだけ
の大雑把なものでしかない。
 「やはり・・・待つしかないか」
 星詠亭で黙々と食事をとりながら、デインは考え込んだ。
 「第一、月姫が出奔したという噂も全く聞かないし。本当に、そのようなことが起こ
ったのか。いや・・・勅命だから間違いはないだろう」
 思考は自然と騎神のことに飛んだ。
 「よく考えて見れば、月姫が騎神を所有すること事態が妙な話だ」
 通常、騎士により運用される騎神はその反応速度の凄まじさ故に騎士同士でないと相
手にならない。ルーンの錬金術師が運用する場合でも反応速度の差を補うために呆れる
ばかりに強力な魔術武装で固めるのが常。その場合でもよほど機体の性能差がなければ
ほとんどが騎士の勝利に終わる。
 たとえ月姫が騎神を動かしたところで、誘気(いざなぎ)等の非攻撃系の能力しか無
い彼女たちでは全く騎士の相手にならないだろう。それ程までに騎士の能力は並外れて
いる。
 そもそも、神那が騎神を所有していること自体がおかしい。
 ルーン帝国が騎神を復活させたのと同時期、アーミテイツも(公式的には)蒸気機関
と騎神の秘密を独自に解明した。よって、それ以降ルーンとアーミテイツの2系統の騎
神が存在することになったのだが。
 「うーむ、わからん」
 デインは前髪をくしゃくしゃにいじった。
 「騎神中隊の管理からして、アーミテイツから騎神技術が漏れるわけはなし、ルーン
もむざむざとこれ以上の技術流出を許すわけはなし」
 騎神中隊と呼ばれる蒸気機関専門の技術中隊のうち騎神を専門に扱う者達の管理は厳
格を極める。はっきり言って彼らは特定の場所に幽閉状態であり、外部との接触は皆無
である。
 「ふむ・・・。と、すればフィーラから漏れたか・・・。いや、騎士組合の状況から
してそれはない、か。もし、それがばれようものならフィーラは一夜のうちに灰燼に帰
すだろう」
 騎士組合の掟には凄まじいものがある。この世界で生きていたいならば、いくら騎士
でも最低限の倫理だけは守ったほうが得策であると無法騎士達にも思わせるほどに。
 「そうなれば残るは神那が独自に騎神を開発したという推測か。あまり愉快ではない
な」
 神那が独自に騎神を制作していた。
 これははっきり言ってあまり考えたくない可能性である。
 なぜならば、アーミテイツ、ルーン双方から漏れた可能性を排除して考えた場合、残
る可能性はルーンと同じように古代のものの解析により騎神を復活させた可能性が高い。
 もちろん、その場合騎神の能力は全くの未知数。
 「もし、そうであるならば、勅命であることと、フィーラに噂が流れていないことと
の整合性がつく」
 デインはその可能性について考えてみた。
 可能性としては・・・決して低くはない。
 デインの認識では、そのほうが騎神を扱う騎士や騎神を整備する錬金術師以外に騎神
の存在が漏れている事よりは考えやすいほどだ。
 「これは・・・確かに重大だ」
 デインは、ゆっくりと頭を振った。


===== フィベリナ・ベルアール

 その朝、フィーラ随一の「まともな」宿屋である星詠亭は混雑していた。
 あちらにはどう見てもルーンの騎士崩れ、かとおもえばこちらにはあきらかにわかる
アーミテイツの騎士。隅っこの方では麗しき月姫が食事をしているし、驚いたことにフ
レグランス・セラピストらしい人物まで混じっている。
 むろん、普通の人間は一人もいない。
 星詠亭は特殊な者達が比較的安心してくつろげる場所であった。一般人が立ち入るに
は勇気のいる、フィーラ以外ではまず成り立ちそうにない宿屋である。他の国で商売し
ようとしたら客の少なさでたちまち潰れてしまう。ごく少数の者達だけが安心して出入
りできる数少ない場所、それがこの星詠亭であった。
 だから、混んでいると言っても各卓の間は小声で会話を交わせばとなりに聞こえない
程度には隙間が開いている。
 もっとも、騎士、すなわちフューラー、満ちる者という名を冠された鋭敏な存在にと
ってはその程度の隙間はないに等しかったが、騎士組合の定める不文律もあり、ごく自
然に周りの音を意識から閉め出していた。
 だが、今朝はいつもに増して騒がしい。
 頼んだ食事が届くのを待ちながらも、心は自然に回りの会話に飛んでいた。
 何かが起きる予感と共に。

 「まったく・・・いつまで待たせる気なのでしょうか」
 いらいらいら。こつこつこつ。
 自然と足が揺れ動いてリズムを刻む。
 世間一般の言葉で言ってしまえば貧乏揺すりといえるが、美人であるフィベリナがす
ると優雅に時を刻んでいるように聞こえる。
 だが、それも本人にとってはどうでもいいこと。
 「遅い、遅いですわ・・・」
 確かに星詠亭は驚くほどに混んでいる。それはもう前代未聞なほどだ。
 だが、これほどまでに注文が遅れるというのは尋常ではない。
 まるで誰かが足を引っ張っているような・・・。
 いらいらいら。こつこつこつ。
 思わず足も揺れ動く。
 ふと見るとこの店の主人は常連客らしい女性を捕まえて話していた。
 (この忙しいときにあの主人はなにをのんきに・・・)
 いらいらいら。かっかっかっかっ。
 無意識のうちに足がより激しいリズムを刻む。
 はたから見ると、まるで足だけで激しいタップダンスを踊っているようなものだ。
 当然周囲の注意を引きつけずにはいられない。
 「ふぅ・・・」
 それに気づくとフィベリナは意識して平静を保つようにし、足の揺れを押さえ込んだ。
だが、しばらくするとまた足がリズムを刻み始めてしまう。
 「あのー、お待たせいたしました」
 その時、ようやく注文した料理が届いた。
 本日の朝食は大麦のパンにチーズとサラダ、スモークした肉。それに少々のワイン。
 フィベリナの美意識にかなった優雅(と本人には思える)かつ、手軽(と本人は思う)
な食事である。
 ただ一つ彼女が見落としていたのは、その量が並の数人前はあったことだけである。
本人は意識してはいないが、フィベリナは非常に太りにくい体質であった。
 騎士という新陳代謝の非常に激しい躯は並の数人前などものともせずに消化してしま
う。当然ながら太る暇もない。朝の目覚めもいつもすっきり。寿命のことさえなければ
まことに便利な体質である。
 美人が楚々とした食べ方で恐ろしいほどの量を食べる。
 まともな人間の集まらない星詠亭でもなければ滅多に見られない光景であろう。
 騎士が一般人に紛れた隠密行動をする際、もっともつらい点がこの食事の量であった。
食事の量で正体を見破られた例は数しれない。かといって食事制限をすればろくに力も
出せなくなる。


(騎神?)
 もくもくと食べていたフィベリナの耳にそんな言葉が飛び込んできた。
 しばし店内に目を走らせると、隅の方で顔を寄せている月姫二人の姿があった。
 十分に小さくおさえられていた声だが、所詮いくらひそひそ話をしようと、いくら周
りがざわついていようと、優秀な騎士にとってこの程度の室内では聞き逃すはずがない。
 だが、今回の言葉はフィベリナにとっても意外な言葉だった。
 (騎神・・・ですって?)

 騎神。
 ルーンの力とかアーミテイツの切り札とか呼ばれているもの。
 錬金術師組合により想像されし、蒸気機関により生命を得た巨人。
 騎士によって運用される究極の兵器。

 (まさか、神那に騎神が?)
 思わず耳を疑う。
 (確か、騎神技術はルーンが製造したものをアーミテイツが盗んだはず。しかし、騎
士を擁しない神那にそのようなことができるはずはないですし、となれば全く新手の騎
神のおそれがありますわ。ルーンの騎神は主に蒸気技術と騎士の能力によって運用され
るもの。しかし騎士ならぬ月姫にはいくら蒸気機関があったとしてもそれ程までの働き
は期待できませんね。と、なるとそのせいで非公開に・・・いえ、それだけならばなに
もそこまで秘密にする理由が見あたらない。そうすると、神那の騎神にはルーンのもの
とは全く違った技術が使われている、もしくは力があることになります!)
 一気にそこまで考える。
 (もしかしたら、錬金術組合とは全く別のオリジナルからの復元と言うこともあり得
ますわね)
 その可能性を思いついてフィベリナの身体に一瞬ふるえが走った。
 「・・・まずいですわね」
 整った唇をぺろりとなめる。
 (もし、神那が本当に騎神を製造していたならば。そしてそれが従来のもの以上の性
能を持つとしたら)
 均衡が破れる・・・。
 現在危うい平衡を保っているルーン帝国とアーミテイツ皇国。
 その両者に挟まれるようにあるミスカル王国。
 もし、神那、すなわちミスカルが力を手に入れたとしたら。そしてどちらか一方にそ
の力を供与するとしたら。
 均衡が崩れ、ファラレアは未曾有の戦乱に巻き込まれる。
 もし、神那がその力を自国内で独占するとしても、今度は国同士での3すくみ・・・
それどころか、もし神那の方が他の2国より力が大きかった場合神那はおそらく他国へ
と侵攻することになる。
 どちらにしても争いは起き、戦乱が生まれる。
 (となれば、この話、確かめる価値はありそうですわね)
 フィベリナは騎士組合随一の情報屋を頼ることにした。
 料金は高いが、それだけの価値はある。
 だが、フィベリナの前に提示された金額は、驚いてしまうほど安価なものであった。
 「なぜ、こんなに安いんですの?」
 いつもの高い料金を知っているフィベリナはその情報屋、「赤い目」と呼べれている
男にくってかかった。
 この話、どう見ても裏がありそうだ。
 「なに・・・簡単なことでネ」
 赤い目はその名の由来でもある真っ赤な瞳を瞬かせて答えた。
 「この情報を買いに来たのは今日はあんたで8人目」
 「・・・」
 フィベリナは絶句してしまった。
 それではまるでこの噂が町中に知れ渡っているという事ではないか。
 「それでもいいわ、情報を教えて下さる?」
 フィベリナはきっぱりと言った。
 いくら情報が流れていようと、それを手にしたのはまだ7人ほど。
 その程度の人数なら、十分出し抜けるはずの自信がフィベリナにはあった。
 「あ、ああ。それね」
 赤い目は先ほどまでとは雰囲気を変え、重々しく答えた
 「神那の幹部、この前アーミテイツに輿入れした羅風燕姫華(らふうえん・ひめか)
は知っているだろ?」
 「ええ」
 「その姉、妃女奈(ひめな)が神那の最秘奥を盗み出して逃亡したンだ」
 「!」
 フィベリナは絶句した。
 今日は何度も驚いたが、今回のは格別だ。
 「神那の最秘奥?」
 フィベリナはめまぐるしく頭を働かせた。
 「そ、おまえさんが考えてるのと同じ。おそらく騎神。それも最高級の・・・」
 「神那製の騎神ですね!」
 「そのとおり」
 赤い目はにやりと笑った。
 「こっちにむかってるって話だ、うまくやんな」
 フィベリナは自分の幸運が信じられなかった。
 神那製の騎神、それも最秘奥と言われるまでの。
 その騎神がフィーラを目指してくる。
 騎士組合を出て街を歩きながら、フィベリナはずっと考え込んでいた。


===== ガーディス・セブンス

 その朝、フィーラ随一の「まともな」宿屋である星詠亭は混雑していた。
 あちらにはどう見てもルーンの騎士崩れ、かとおもえばこちらにはあきらかにわかる
アーミテイツの騎士。隅っこの方では麗しき月姫が食事をしているし、驚いたことにフ
レグランス・セラピストらしい人物まで混じっている。
 むろん、普通の人間は一人もいない。
 星詠亭は特殊な者達が比較的安心してくつろげる場所であった。一般人が立ち入るに
は勇気のいる、フィーラ以外ではまず成り立ちそうにない宿屋である。他の国で商売し
ようとしたら客の少なさでたちまち潰れてしまう。ごく少数の者達だけが安心して出入
りできる数少ない場所、それがこの星詠亭であった。
 だから、混んでいると言っても各卓の間は小声で会話を交わせばとなりに聞こえない
程度には隙間が開いている。
 もっとも、騎士、すなわちフューラー、満ちる者という名を冠された鋭敏な存在にと
ってはその程度の隙間はないに等しかったが、騎士組合の定める不文律もあり、ごく自
然に周りの音を意識から閉め出していた。
 だが、今朝はいつもに増して騒がしい。
 頼んだ食事が届くのを待ちながらも、心は自然に回りの会話に飛んでいた。
 何かが起きる予感と共に。


 ガーディス・セブンス。彼女は、今朝も不幸であった。
 久しぶりにゆっくりと朝食を取ろうと珍しく早起きして星詠亭にきたら、珍しいこと
に卓は満席で仕方なくカウンターで主人の顔を眺めながら食べる羽目になったし、注文
はガーディスの所だけなかなか取りにこない。挙げ句の果てには頼んだ料理はもう品切
れときた。
 毎度のことで慣れてはいるが、やはり寂しい。
 仕方なくガーディスは黙々と(ようやく届いた)スープを飲んでいた。
 もちろん、不幸なことにこれも又冷めている。
 「ぷんすか、まったくもぉ」
 思わずいらだちが口をついて出る。
 己の運命とやらを今日だけで幾度呪ったことか。
 「ようガーディ、今日も又不幸そうじゃないか」
 カウンターの向こう側にいる男はそういって哄笑した。
 まったく、極め付きの不幸はこの男と朝っぱらから話さなければいけないことだ。
 決してガーディスも女性として自分の美貌に自信があるわけではない。贔屓目に見て
も並よりちょっとくらいは上かなと言う程度だ。
 だが、容貌に限らず極端な人間が集まるこの店で、並程度の男に朝から不幸呼ばわり
されるいわれはない。
 フィーラのど真ん中でこんな商売をしているのだからそれなりに人付き合いの技術な
どもやり手であるはずだが、どうもガーディスはこの男が苦手だった。我ながら人なつ
っこい方だと思うが、この男だけは例外である。
 だいいち通り名が「銀の雨」だなんて似合わない。
 (せめてもっとまともな名前にしたらいいのに)
 ぽそりと呟き、一気にスープを飲み干すとガーディスは代金を主人の手に押しつけて
カウンターを立った。
 その間、主人とは一度も目を会わそうとしない。
 実に徹底した態度であった。
 その時、入り口の方から一人の女性が駆け込んできた。
 見たところ、どうやら月姫らしい。
 「ほぉ、美人だ」
 背後から主人の漏らした声が聞こえる。
 確かに、美人揃いの月姫の中でも極め付きの美女であった。
 だが、もちろんガーディスにその気はない。
 ガーディスはカウンターを降りて出口に向かった。
 「ねえねえ、大変大変!」
 女性が誰かに向かって叫んでいるのが聞こえた。
 どんなに大変でも、ボクには関係ないこと・・。
 そう思って入り口に向かう途中、彼女の鋭敏な耳は先ほどの女性が小声で交わしたや
りとりを聞き取った。
 たとえどのような雑踏の中であろうとも、騎士が音を聞き違えることはない。
 (騎神?)
 (たぶん、そうだよね?)
 確かにそう言っていた。
 思わず立ち止まり、全身の神経を背後に集中する。

 騎神。
 ルーンの力とかアーミテイツの切り札とか呼ばれているもの。
 錬金術師組合により想像されし、蒸気機関により生命を得た巨人。
 騎士によって運用される究極の兵器。
 おぼろげな噂ではあったが、神那にも実在するとは・・・。

 全身の血がざあと音を立てて騒ぎ出す。
 アーミテイツのようにルーンから技術が漏れたとは思えないし。まさか、アーミテイ
ツからの技術協力・・・いや、それはない。あそこもミスカルに力を付けさせたくはな
いはずだ。と、すると全く別のオリジナルからの復元?
 一瞬のうちに噂を思い出し、そこまで考える。
 すると、自然に
 「見てみたい」
 という強烈な思いがこみ上げてきた。
 血のざわめきはもはやとどめようもなく彼女の全身を揺さぶる。
 気がつくと、先ほどの女性はすでに連れとともにいなくなっていた。
 おそらく2階でさらに詳しい話をしているのだろう。
 強引にでも聞きに行きたいところだが、騎士組合の不文律を思い出してかろうじてそ
の思いを押さえ込む。
 フィーラで組合に逆らうのは得策ではない。
 (だが、他にも知る方法はある。方法はまだあるさ)
 これからの行動を心の中で反芻しつつ、ガーディスはしっかりとした足取りで星詠亭
を出た。

 「ちわーす」
 先ほどとはうって変わって明るい声で挨拶する。
 フィーラの裏路地にちょおっと入ったところ。普通の人間が無意識に避けてしまうよ
うな場所。そこに騎士組合はあった。裏情報、各種仕事の斡旋、その他請負、要するに
互助組織だが、ルーン、アーミテイツなどの国による差別はない。あくまでフィーラに
おける騎士達の行動を統制しているだけなのだ。
 慣れた様子で次々と身体検査などのチェックをすませる。
 しばらくして、ガーディスは地下にいた。
 「赤い目、いるかな?」
 受付の男に用件を話す。
 赤い目は情報屋だ。フィーラに集まる噂の類から各国裏情勢まで様々な情報を一手に
集めている。
 「ん、ガーディ、あんたもなのか?」
 男は、不思議そうにガーディスを見つめた。
 「あんたもって・・・ボク以外にも誰かいたの?イヤだなぁ」
 赤い目の情報は確かだが、そのかわりに高い。ガーディスも有り金はたくつもりで聞
きに来たのだ。当然、情報の価値はその寡占にある。多くが知れば知るほどありがたみ
は薄れてしまう。
 「いや、今日はあんたで実に10人目」
 「うーっ、それ本当?」
 「ほんとほんと、オレが嘘ついてどうするっての」
 「むぅー」
 しばし考え込む。
 10人も同じ事を聞きに来た、となればその倍以上の人間が関わっていると考えた方
がいい。となれば、情報にそこまでの価値があるか。
 ああ、やはり不幸だと自覚してしまう。
 「まぁいいや、つないでくれる」
 あっさりと決断した。
 知りたいという素直な欲求は止めようがない。
 ガーディスに迷いはなかった。

 一刻ほどの後、ガーディスは再び星詠亭にいた。
 頭の中で先ほどの会話が渦を巻いている。

 「幹部によって神那の最秘奥が盗み出されたンだ」
 「えーっ、えーっ、えーっ!」
 ガーディスは驚いた。
 神那と言えばそれはもうルーンに匹敵するくらい強大な組織である。
 そこの最秘奥など、想像もつかない程のガードがされているに違いない。
 「最秘奥って、騎神?」
 赤い目の顔が急にぶっちょうずらになった。
 「よくしってるなぁ。その通りだヨ。これじゃ料金割り引くしかないナ」
 「で、そのほかには、何かどーんとした情報ある?」
 「幹部の名は羅風燕妃女奈(らふうえん・ひめな)。この前アーミテイツに嫁いだや
つの姉よ。それもただの姉じゃない、同じ両親を持つ本当の姉妹だ」
 「ふんふん、それから?」
 「後はそれをもってこちらに向かってるってくらいっきゃ知らないヨ」
 「本当に?」
 「正真正銘、これだけ。まぁ大勢に教えたし、騎神のことは割り引いて、安くしとく
よ」

 騎神、しかも神那の最秘奥。
 どのようなものなのだろう。
 知りたい!なんとしても!
 身の回りの不幸はなんのその、ガーディスは今、またしても届かない注文を待ちなが
ら、めらめらと燃えていた。
 

===== レイチェル

あれは、いつのことだっただろう。
その夜は蒸し暑く、少し寝付けなかった。
少女は少し涼みに庭に出た。
神那一と名高い庭は、月の光を受けて静かに青白く沈んでいる。
美しい花畑を駆け抜ける風が月の光と共にそっと少女によりそった。
くつろいだ気分になったので部屋に帰ろうと思ったとき、少女はふと何かを感じ取った。
無意識のうちにその元に向けて歩み始める。
やがてどこをどう歩いたのか、目の前に半開きになった扉があった。
月の光も届かぬ闇の中でぼんやりと隙間から明かりが漏れている。
そう、と扉をくぐった。
見上げると、遠くの中空にぽうと細い明かりがともっている。
その光は、美しい女性の横顔を浮かび上がらせていた。
横顔は、どこか寂しそうに、そしてなんとなく悲しそうに思える。
どうやら女性は何か巨大なものの途中に座っているようだ。
薄い明かりに照らされて周りを取り囲む金属の壁が見えた。
「姉様・・・?」
ふと少女の唇から出たつぶやきに、その女性はゆっくりと少女の方角を見据える。
未だ月に感応できない少女には暗くてわからないはずなのに、少女はその女性の悲しげ
な瞳をはっきりと感じた。
なにかを必死に見据えている思い。
なんとしてもやり遂げなくてはならない思い。
そして、どうしようもなく憂う純粋な思い。
少女には抱えきれない思いを、その瞳は語っていた。
女性の周囲の金属までもが同じ思いを発しているように感じ取れる。
あまりにも純粋な思いに少女は圧倒された。
気がついたときには、自分のベッドの上で枕を涙にぬらしていた。
どうしようもない透明な悲しみに包まれて。


「ねえねえ、大変大変!」
レイチェルは朝食を食べている美禮(みれい)に話しかけた。
彼女は同じ神那に属する姉妹であり、また幼なじみでもある。
ちなみに特技は誘気(いざなぎ)。月姫の能力の一つで、気の流れを整えて治癒する術
である。彼女はその達人である。
「なんですか、朝からまた騒々しい・・」
その呟きを無視すると、レイチェルは美禮の向かいの席に腰を下ろした。
「レイチェル・・・」
「ん、なに?」
美禮はうつむいてこめかみを押さえた。
「お願いですから食事中は静かにしていただけません?」
ゆっくりとチーズをちぎる指先が微かにふるえている。
「あたし達は昨夜、仕事を片づけてお祝いをしたんですよ」
「そうそう、わざわざフィーラまできた甲斐があったよね。ちょっと危なかったけど」
「それで、あなたが酔っぱらって寝てしまった後、だれが部屋の片づけをしたと思って
いるんですか」
「美禮、だよね?」
「そうです」
「それで?」
美禮のこめかみがきりきりと痛みだした。
「レイチェル・・・」
「なぁに?」
「あたしは今二日酔いで苦しんでいるんです。おまけに寝不足の所に朝も早くからあな
たは頭に響く大声を出して、そんなにあなたはあたしを苦しめたいのですか」
「はは、ごめんごめん。キミがそんな風になっているとは思わなくて」
「あなたは本当におおざっぱですのね」
「うん。」
(もくもくもくもく)
もはやなにもいう気になれず、美禮は淡々と朝食を片づけた。
「それで?」
食後のお茶を飲みながら、美禮はレイチェルにたずねた。
「そうそう、大変大変!」
レイチェルはがたっと立ち上がった。
「妃女奈(ひめな)姉さまがあれを持ち出して神那抜け出して、それでもって予想では
こっちに逃げて来るみたいなの!」
「あれって、まさか?」
思わず二人とも小声になる。
このような時は情報源はまず間違いなく神那がらみ。そして、その内容は・・・。
「騎神?」
「たぶん、そうだよね?」

騎神。
ルーンの力とかアーミテイツの切り札とか呼ばれているもの。
蒸気機関により生命を得た巨人。
実は神那にもそれはあった。
だが、その系統はルーンやアーミテイツとは大きく違う。
なにより顕著な特徴は神那製の騎神はその操縦者の月姫と誘気により深く同調するとい
う点である。
そのため、神那製の騎神は騎士が運用した騎神と互角の能力を持つ代わりに、たやすく
搭乗者を死に至らしめてしまう。
それが故に騎神は神那では封印され、最高機密となっているはずであった。

「ところで、さ」
「なんです?」
レイチェルは指先で耳たぶをいじりながらいいにくそうにたずねた。
「妃女奈姉様って、誰?」
「あ・・・」
緊張しかけた雰囲気も何のその、美禮は思わず卓に突っ伏した。
「あのですね・・・まさか、あなた。妃女奈姉様をご存じないのですか?」
「だって・・・さ」
美禮はレイチェルの細かいことを気にしない、ようするに大雑把な性格を心の中で思い
切り罵った。
「ふぅ・・・」
心の中でため息を一つ。
「説明してあげますから、部屋に行きましょう。それに、先ほどのことはここで聞くに
は重大すぎます」
そして、美禮は痛む頭を押さえつつ部屋にもどった。

「妃女奈姉様は、姫華(ひめか)姉様と血を分けたご姉妹であらせられるお方なの。姫
華姉様はご存じよね。」
小卓を挟んで向かい合い、顔を近づけて小声でひそひそと話を交わす。
「うん。この前鳴り物入りでアーミテイツに嫁いでいった人だよね?」
「そう、その事情は関係ないから置いておいて、その姫華姉様のお姉さまが妃女奈姉様。
神那の中でも10指に入る大変な方よ」
そういって美禮は指を1本立てた。
「いいかしら、ここが肝心ですけれど、妃女奈姉様は騎神の管理もされていたお方なの。
先ほどあなたが言ったことが本当ならば、これは掛け値無しに大変なことになりますわ」
「どうして?」
「よく考えてご覧なさい。妃女奈姉様は騎神を神那から持ち出したのでしょう?」
「それは確かだよ。姉妹達が嘘をつくとは思えないもの」
「と、するとあなたならば1騎だけどの騎神を選んで持ち出します?」
「一番凄いものを持ち出す、よね?」
「その通りです。そうなるとまず間違いなく持ち出されたのは・・・」
「まっさかぁ!」
「その可能性が一番高いですわ。それに、それならばこうしてフィーラまでわざわざ情
報が届いた理由もわかるというものです。騎神と妃女奈姉様についてはなんと言ってい
ました?」
「騎神については回収できれば僥倖だが無理に手を出すなって。妃女奈姉様については
・・」
一瞬口ごもる。
「・・・騎神さえもどればいい、手段は問わないって」
「やっぱり」
美禮は確信した。
「持ち出されたものについてはもう間違いないですね。外の世界に出ている月姫全員に
檄を出すなんてそれ以外にあり得ませんわ。問題はなぜ、妃女奈姉様がそういう行動を
とったかですけれども」
「心当たりがないの?」
「ええ。基本的に自由に行動しているあたし達にまで要請がくるなんて尋常な事態では
ないと言うこと。こうなるのを覚悟でそうさせた理由がきっとどこかにあるはずなんで
すけど・・・」
言ってふっと微笑む。
「どちらにせよ、これでまでどうりの安楽な生活は送れそうにありませんね」
「姉様がこちらに来れば否応なしに騒がしくなるよね?」
「ええ。フィーラにくる時点ですでに神那だけの問題ではありませんから」
「それじゃ、これからどうするの?」
「あたしは一度神那にもどってみます。妃女奈姉様の動機が何かわかればいいのですけ
れども。そうでなくても、何か詳しいことがわかるでしょうし。あなたは?」
「うーん。どうしようかなー」
思わず腕を組んで考え込む。
それを見ながら美禮はゆっくりと立ち上がった。
部屋の片隅にまとめてあった旅装をまとう。
「あれ、もう行っちゃうの?」
「ええ。なにか胸騒ぎがして。一刻も早く神那にもどらなくては」
(それに、神那になにが起きているのか、なにが起ころうとしているのか、そして妃女
奈姉様が神那になにをもたらすのかをはっきりと見極めなくては)
美禮はそっと心の中でつぶやいた。
「そっか。それじゃ、またあえるよね?」
「ええ。事態が片づいたらまた一緒に仕事しましょう」
「楽しく、だよね?」
「ええ!」
美禮は振り返らずに、レイチェルに手を振った。
レイチェルの顔に浮かんでいるであろう表情を見ないために。


===== スタール・ヴィント

 その朝、フィーラ随一の「まともな」宿屋である星詠亭は混雑していた。
 あちらにはどう見てもルーンの騎士崩れ、かとおもえばこちらにはあきらかにわかる
アーミテイツの騎士。隅っこの方では麗しき月姫が食事をしているし、驚いたことにフ
レグランス・セラピストらしい人物まで混じっている。
 むろん、普通の人間は一人もいない。
 星詠亭は特殊な者達が比較的安心してくつろげる場所であった。一般人が立ち入るに
は勇気のいる、フィーラ以外ではまず成り立ちそうにない宿屋である。他の国で商売し
ようとしたら客の少なさでたちまち潰れてしまう。ごく少数の者達だけが安心して出入
りできる数少ない場所、それがこの星詠亭であった。
 だから、混んでいると言っても各卓の間は小声で会話を交わせばとなりに聞こえない
程度には隙間が開いている。
 もっとも、騎士、すなわちフューラー、満ちる者という名を冠された鋭敏な存在にと
ってはその程度の隙間はないに等しかったが、騎士組合の定める不文律もあり、ごく自
然に周りの音を意識から閉め出していた。
 だが、今朝はいつもに増して騒がしい。
 頼んだ食事が届くのを待ちながらも、心は自然に回りの会話に飛んでいた。
 何かが起きる予感と共に。


 「はぁぁ。理不尽ですぅ」
 力の抜けきった声があたりに響きわたる。
 ルーンにあって珍しい女性騎士であるスタールは、退屈しきっていた。
 「せっかくフィーラにやってきて、女性蔑視とはおさらばしたと思ってたのに、なぁ
んで仕事が回ってこないんですの。これってっやっぱり差別ですぅ」
 本国(ルーン)での女性を見下した扱いに耐えかねて辺境地区のフィーラにまでやっ
てきたのに、なぜここでも同じような扱いを受けなければいけないのか。騎士組合に加
入したもののろくな仕事は回ってこない。これはどう見ても差別としか思えない。彼女
の言葉を直訳するとおおよそこういうことになる。
 「はぁぁ、なにか儲かる仕事はないんですのぉ」
 頭を抱え込んだところで出てくるものはなにもない。
 「いいかげんになさいな、ヴィ」
 スタールよりちょっと年増の・・・年上の女性がスタールをいさめた。
 「だってぇ、ヴェーナ。これで三回目よぉ、難癖つけて報酬払ってくれないの」
 スタールは愛らしい眉をきゅっと寄せる。
 「これってどう見ても女性だからって差別してるんですぅ」
 「だから、ヴィ、そうじゃないって」
 ヴェーナと呼ばれた女性はうんざりした顔をした。
 うんざりした理由は簡単である。
 これまで三度、たまたま弓矢をよけたところが護衛していた依頼人に当たったり、た
またまトイレに行っていたときに限って宿屋が吹っ飛ばされたり、品物を運んでいる最
中に品物をまっぷたつにしてしまったり、全てはスタールのせいである。
 たとえ、依頼人がたまたま失っていた記憶を取り戻したり、その宿屋のむき出しにな
った地下がお尋ねものの麻薬製造の本拠地だったり、二つに割れた品物の中から莫大な
遺産の隠し場所が発見されたからと言ってその行為が正当化されるわけではない。
 スタールの幸運はきわめてきまぐれであった。
 もちろん、その被害を最も被っているのがヴェーナである。
 「だから・・・」
 ヴェーナは本日三度目になる言葉を繰り返した。
 「だって・・・それって理不尽ですぅ」
 しかし、スタールには効かなかった。
 「ふぅ・・・」
 己の運の悪さをつくづく呪うヴェーナであった。
 容姿は月姫とタメがはれるくらいの超美人、頭もそう悪くはない。おまけに素晴らし
い運の良さを持つ。
 しかし、トラブルがついて回る。
 どうしてこんな女とくんでしまったのか。
 幼なじみという関係だけで、なぜフィーラまで共に流れてきてしまったのか。
 しかし、そんなもの想いも明るいスタールの声で中断された。
 「なに?」
 (ちょっと・・・)
 スタールが小声で特定の方向をうながした。
 小声は騎士特有の話法であり、たとえ他の騎士といえども盗み聞きは不可能である。
 スタールの声はきわめて真面目であった。
 (あそこ、月姫が二人いるですよねぇ)
 (うん。今、二階へ上がっていく二人ね)
 (その二人、ちょぉっと気になる言葉を話していたんですぅ)
 (え?)
 (騎神・・・ですぅ)
 「ええっ!」
 思わず声が出てしまう。
 その一方で、スタールはあくまで冷静であった。

 騎神、ルーンの力とかアーミテイツの切り札とか呼ばれているもの。
 ルーン帝国が太古より復活させし蒸気により生命を得し巨人。
 その存在は、いずこに置いても最高機密扱いとなっていた。
 騎士や錬金術師ならば、知っていてもおかしくはない。
 だが、月姫が知っているとは。

 「どこかから情報が漏れたって事?」
 二人は密談のために完全防音された部屋に移って話していた。
 「いいえ、ルーンもアーミテイツも秘密を漏らすメリットはなにもないはずですぅ」
 「じゃぁ、いったい誰が?」
 「よーく、考えてみるですぅ。本国は自国のみが独占することをねらい、アーミテイ
ツに対してこれ以上の機密漏洩を防いでいるはずで、まずありえないですぅ」
 「だれしも錬金術師に廃人にされたくないもの。で?」
 「アーミテイツが漏らしたと考えても、やっぱりつじつまは合わないですぅ」
 「ルーンとは違った意味で騎神を発展させているらしいから?」
 「それと、アーミテイツの場合は完全に騎神が水晶剣騎士団下のもとで統制されてい
て、下手するとその徹底ぶりはルーン以上ですぅ」
 「なるほど、じゃぁどこから情報が漏れたの。ここ?フィーラから?」
 「いいえ。ここの場合情報は騎士組合に一手に牛耳られているはずですから、それは
ないはずですぅ」
 「月姫が騎士組合にのこのこ入れるはずはない・・・か」
 「そう、だから情報が漏れたわけはないと思いますぅ」
 「じゃぁ、なぜ!あの月姫は騎神のことを知っていたのよ!」
 ヴェーナはおもわずばんと卓を叩いた。
 「もし、ルーンやアーミテイツの情報が漏れたのでないとしたらどうですぅ?」
 ストールはぽつりとつぶやいた。
 「どうゆうこと?」
 「もし、騎士の運用する騎神の情報が漏れていたとしてもその存在を噂するのがせい
ぜいですぅ。でも、あの月姫達の様子はそんな尋常ではなかったです。と、なれば・・」
 「なれば?」
 「月姫達も又騎神の復活に成功したのではないですかねぇ」
 「は!まっさかぁ!」
 ヴェーナは一笑に付した。
 「だって、騎神運用に当たっての反応速度はどうするのよ。騎士同士ならともかく騎
士と月姫では圧倒的に騎士が有利だわ。錬金術師に対しても月姫では圧倒的に攻撃力に
劣るわ。はっきり言って騎神を作るだけ無駄よ」
 「でも、彼女たちが話していたのは間違いなく騎神の運用に関する話ですぅ」
 「どうして、そうわかるの?」
 「考え込んでいたからよくわかんなかったけど、彼女たちは誰かが騎神を持ち出して
フィーラに来る、みたいなことをいってたですぅ」
 「個体調節しなくちゃいけないから他人の騎神を奪えるわけはなし、となると・・・
本当に神那が騎神を作り出した可能性はあるわね」
 「もしかしたら、錬金術組合のとはちがったオリジナルを元に復元された騎神かもし
れないですぅ」
 「ヴィ、ヴィ、ヴィ!」
 ヴェーナはスタールの肩をつかんで思い切り揺さぶった。
 思わず笑い声が口をついて出る。
 「それがもし本当だとしたら、これって完全な儲け話よ。それもあたしたちに対する
差別を吹きとばしちゃうぐらい!」
 「え?」
 「考えてご覧なさい、もしその神那製の騎神を捕獲できたら、あたしたち一躍有名人
よ!ルーンで威張り腐ってるあの連中を打ち負かしてやれるのよ!ヴィ!」
 ヴェーナはそそくさと荷物を纏め始めた。
 「なにをするんですぅ?」
 「あたしは神那に行って裏をとってくるわ。だからヴィ、あなたはこっちで調査をお
願い。なにをしてもいいけど、言付けくらいは残しといてね。じゃあね、チャオ!」
 スタールが呆然としている間に、ヴェーナは行ってしまった。
 後に残るは、ぼーとしたスタールのみ。
 彼女が体よく一人にされたのかな?と思い至るのははるか未来のことであった。


===== ユリウス・エルバラード

 ユリウス・エルバラードは焦っていた。
 それも、単なる焦燥ではない。普段穏やかな彼に似つかわしくなく、常に彼の顔を彩
るポーカーフェイスも何の役にも立っていない。
 それはもう、彼がこんなに焦るなど彼を知る誰もが見たことのないほど焦っていた。
 理由はただ一つ。
 彼が属するルーン帝国の錬金術師組合(ウェイナーズ・ギルド)から呼び出しがかか
ったのである。
 それもただの呼び出しではない。
 ルーン帝国皇帝であり錬金術師組合の長でもあり、<粛正帝>の2つ名でも知られる
アートゥン・ルーン直々の呼び出しである。
 「・・・いったい私がなにをしたというのですか」
 この知らせを自室の卓の上に発見したとき、ユリウスは憮然として思わずつぶやいた。
 ちなみに、書簡は全て郵政局の管理下にあり、簡単な魔術によって各宛先へと文字通
り配送される。この画期的なシステムは錬金術師組合独自のものである。
 ユリウスはそれから約2刻ほど、ずっとそのままの姿勢で考えていた。
 まず、ルーンに属する騎士や錬金術師ならば当然のことだが、錬金術師、特に魔術を
用いるウェイナー(欠ける者)はその能力を生かして騎神(蒸気機関を動力源とする巨
大人型兵器)の整備などを一手に引き受けている。騎神を復活させたのも錬金術師組合
なのだから、これは当然のことだ。
 次に、騎神の技術は全くの部外秘である。騎士や錬金術師はたとえどの国の者でも知
っていてもおかしくはないが、それ以外の者達。つまりミスカルの神那に属する月姫や
迫害されしフレグランス・セラピスト達、はたまた俗民などは知りえないものである。
 また、皇帝自らが代々組合の長をつとめるだけあって、錬金術師組合は完全に帝室の
傘下にある。
 そして最後に、錬金術師組合の掟にはこう記されている。死して屍拾う者無し、と。
 以上のことより導き出される答えは一つ。
 どんなものであろうともろくな事ではないであろう、という事実である。
 良くて生きのびて専用(!)の騎神を賜るか、悪くて全くの野ざらしの屍とかすか。
 どちらもあまりユリウスの好みではない。
 ユリウスは外見こそ多少老けて見えるが、自惚れではなく、魔術を編むことに長け、
騎神の技術もたいしたものだ。思うにそこらあたりが選ばれた理由であろうが・・・。
 「全く、迷惑ですね・・・」
 登城専用の蒸気機関にのって謁見の間までユリウスを連れて行く間、彼はずっと考え
込んでいた。。
 そんな彼を乗せて、蒸気機関はゆっくりと進んで行った・・・。


 「で?」
 ディータ・クリスマン、通称ディーは好奇心に満ちた瞳で尋ねた。
 「で、結局なんだったわけ?」
 ディーはキャットウォークの手すりに寄りかかった。
 真下にはずらりと並んで出撃を待つ騎神や整備中の騎神などが立ち上ってくる蒸気の
合間に見える。
 「それを言えるようなものならば、私も苦労していませんよ」
 ユリウスは下の様子を見降ろしながら答えた。
 意図的に軽い口調にしているが、実際の心中は穏やかではない。
 なんといっても今回下された命は現在の彼の常識を覆すほどのニュースであった。
 (神那の幹部格である羅風燕姫華(らふうえん・ひめか)が神那より最秘奥を盗んで
フィーラに逃亡中とはね・・・。おまけに最秘奥とは神那製の騎神と思われるとは)
 月姫は、通常騎神の存在を知り得ない。それはもう絶対確実と言っても良いほどであ
る。一例を挙げると錬金術師には全てこのことに関して口外できないよう呪縛が化され
ているほどだ。
 その月姫が、騎神を所有していようとは、まさに天地が逆転するほどの驚きである。
 「ま、そうだな」
 いきなり現実に引き戻されてユリウスは動揺した。もちろん髪の毛一筋ほども表面に
あらわしはしなかったが。
 「おかげでしばらくはフィーラで過ごすことになりそうですよ」
 あわてて問題なさそうなことがらを選んで取り繕う。
 「ほぉ。あそこならば勢力入り乱れてるからな。騎士組合にさえ目ぇつけられなきゃ
大丈夫だろう」
 「しかし、その分やっかいごとも多そうですがね」
 「ふむ。だがな・・・」
 ディーはユリウスに顔をよせてささやいた。
 「相手は月姫だろ、そりゃ美人揃いだ。おまけにフィーラならばセラの天使もいるだ
ろう。全く、うらやましいぜ」
 「相変わらずですね」
 「まぁな」
 ディーの女癖の悪さは折り紙付きである。ちなみに彼があげたセラの天使とは彼曰く
<天使のように美しい>フレグランス・セラピストの事だそうだ。むろん、ユリウスは
実際に見たことはない。
 「それで、いつ出発するんだ?」
 「ええ。それなんですが、フィーラでフィベリナ・ベルアールって騎士と落ち合うの
ですが、騎神戦を想定して最新型のものを持っていくことになりまして」
 「ほぉ!それで整備を手伝えって?」
 最新型だけに整備は難しいし、当然ながら機体の完熟度も低い。
 ディーは右手を差し出した。
 「3つに負けといてやるよ」
 「・・・」
 ユリウスの無表情にも、ディーは差し出した手を引込めようとはしない。
 ユリウスは、内心ため息をつきつつ仕方なく懐の隠しに手を入れた。

 そして、ユリウスはフィーラに降り立った。

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