星詠亭奇談第一部
First Stories


2.邂逅
===== エドゥルド・デイン

 デインは、尾行されていた。
 ここ数日、妃女奈の情報を集めるために星詠亭に足繁く通い、似姿を見せてこのよう
な月姫を見かけなかったか聞いて回っていたのだが……。
 (……いささか、うかつだったようだな)
 デインは尾行されている者に気づかれないように、小さく微苦笑をした。
 星詠亭では何の収穫も得られなかった。それどころか露骨に怪しい視線を向けてくる
者もいて、月姫に至ってはこちらが近づくだけで警戒する始末。セラピストは最初から
もう視界の外に逃げている。
 挙げ句の果てには昨日あたりから尾行者のおまけつきときた。
 (いい考えだと思ったのだが。所詮私にはこのような用向きは向いていないと言うべき
か)
 尾行している者は足音を殺しているが、いかんせん気配までは隠せない。
 (それとも、このような回りくどい方法では無しに、直接的に行動した方がよいか?)
 気配がだんだんと近づいてくる。
 (しかし、何らかの反応があっただけでもまだましというものだろうな……)
 デインはぱっと道を駆け出すと、角を曲がり、そこから垂直に飛んで屋根の上に身を
隠した。これで、騎士以外のたいていの尾行はかわすことができる。相手は気配を消し
ていなかったから、騎士だとしてもせいぜい並以下。そうでなくとも、アーミテイツの
名門の誉れである騎士団に属するデインには何ら負担とはならない。
 案の定デインの姿を見失ったのか、うろたえている気配が下から伝わってきた。
 その気配がふっと消える。
 (妙だな……)
 わざわざ尾行中に気配を殺さなかった、ということはおそらく尾行に関しては素人な
のであろう。殺せたとしても、デインを見失った今、それをする必然性がない。
 と、すると対象は本当にその場から瞬時に立ち去ったことになる。
 「ルーンの錬金術師か」
 小さくその名を唇にのせる。
 その名前は敵対する帝国の敵対する組合に属する敵対する者達の総称。
 アーミテイツの他に唯一騎神技術を有する者達。
 それこそが錬金術師。欠ける者と呼ばれる魔術の使い手。
 彼らならば瞬間移動も不可能ではないだろう。
 「と、いうことはルーンも動いている可能性があるという事だな」
 ルーンと敵対すること自体は彼自身の受けた命令には抵触しない。だが、ルーンに先
を越されるとなると、命令自体が遂行できなくなる。
 「ここは、仕掛けてきたところを返り討ちにすべきだな」
 そして、その機会は以外に早くやってきた。

 ある朝、彼が星詠亭から出てくると、尾行者らしき二人連れが路地裏からこちらを覗
いていた。
 昨日までそれは一人だった。と、いうことは今日は何か仕掛けるという事だ。
 細心の注意を払って相手の動向に注目する。
 気配が僅かに動いた。殺気の方向へ。
 そのとたん、デインは抜刀すると一気に間合いをつめ、一人目の首を薙いでいた。
 だが、その者がもう一人の者に引き倒されたため、それは手首を薙ぐだけにとどまる。
 今切った相手は、どうやら錬金術師のようだ。おそらく昨日までの尾行者と同一人物
であろう。ならば、手首を落としたら魔術は使えまい。
 デインはどう判断すると、抜刀したもう一人の方に向き直った。
 姿からするに、どうやらルーンの女騎士らしい。月姫に比べられるくらい美しい容姿
をしていたが、手練れの雰囲気がそれを打ち消していた。力でこそデインには劣るもの
の、敏捷さでは勝っている、軽量級の騎士であろう。
 だが、もちろん、デインに油断するつもりは毛頭無い。
 女騎士は狭い路地では力で勝るデインに有利だと判断したのか、屋根の上に誘うよう
に飛び上がった。
 間髪入れずデインもそれに続く。
 屋根の上での奇妙な鬼ごっこは、ある巨大な屋敷の上で終わった。
 そこで双方じっと対峙する。
 「何の真似だ」しばらくにらみ合った後、デインは問うた。
 「別に……」女騎士はにっこりと華麗に微笑んだ。「あなたの行動に興味を覚えただ
けよ」
 「ルーンの騎士か」デインは顔をしかめた。
 「ならば、遠慮はいらぬな、まいる!」
 デインは先手必勝とばかりに高速の斬撃を繰り出した。
 だが、その攻撃はことごとくはじかれてしまう。
 「はっ!」
 ちらりと見せた誘いに女騎士は乗ってきた。鋭い一撃がデインを襲う。
 デインはそれを受け流すと、女騎士の頭に向けて神速の突きを放った。
 「!」
 受け流し方が甘かったのか、女騎士の動きが予想以上に早かったのか、デインの腹部
に浅い傷ができる。
 だが、デインの一撃も女騎士の額を薄く傷つけていた。
 ここまでおよそ数秒。
 再び距離を取って対峙したとき、デインは僅かに空気の揺れるのを感じた。
 咄嗟に背後に跳躍すると、一瞬前までいた屋根がずたずたに切り裂かれる。
 切り裂かれた場所にはカードらしき物がは刺さっていた。どうやらカードを強化して
とばしているらしい。
 それは、次々とデインを襲った。
 「おのれ、不意打ちとは卑怯な!」
 形勢不利と見て、攻撃を避け、あるいは剣ではじきながら、デインは屋根から飛び降
りた。
 そのまま全力疾走で逃亡する。
 「ここは、一時転進だ」


===== レイチェル

 「はぁ」うつむいた顔に長くのばした髪がうっとおしげにまとわりつく。レイチェル
は大通りをとぼとぼと歩いていた。その姿はどこか寂しげで、歩く姿にも元気がない。
 理由は簡単である。あの後、レイチェルは美禮を追いかけて一緒についていく!と言
い張ったのだが、それを美禮に一蹴されたのである。

 「レイチェル、あなた」美禮はレイチェルの瞳をまっすぐに見据えた。
 「いい、今は大変な時なのです。だから、あたくしは神那に行って姉様達の動きを見
るの。ここまではいいですか?」
 「うん」
 「それで、どうしてあなたまで一緒に行こうという気が起きるのですか」
 「なんで?」レイチェルの言葉に偽りはない。美禮は毎度の事ながら頭が痛くなって
きた。
 「いいですか」思わずお得意の講義口調になる。
 「妃女奈姉様はここ、すなわちフィーラにくるわけでしょう。今からあたくしが帰っ
たとして、運が良くても妃女奈姉様とはすれ違いですわ。その場合、誰が妃女奈姉様の
様子を調べるのですか」
 「もしかして・・・ボク?」
 「もしかしなくても、そうです」美禮はレイチェルに指をすっと突きつけた。
 「あなたがここにいて妃女奈姉様の様子を調べて下さらなかったらいったいあたしが
情報を持って変えてきてもなにになるというのですか。いいですか、レイチェル。あな
たはここにいてあなたのできることをしなければならないのです。あたくしのやろうと
していることに二人は必要ありませんわ」
 「でも・・・」
 「第一」ふっと美禮は微笑んだ。「あなたが神那に戻って平穏にすむとは思えません
わ」
 「だって・・・さ。七面倒くさいのって嫌いなんだもの」
 大方の月姫とは違い神那文字の名前を持たないレイチェルの場合、おおっぴらに動こ
うとするほどなにかとややこしいことになる。
 「とりあえず」美禮はこの話は終わりにしようという身振りをした。「あたくしは神
那に行きますわ。レイチェル、あなたはフィーラで姉様の情報を収集してくださいます
か?」
 「うん」レイチェルは渋々といった感じでうなずいた。

 それが、先日の光景である。だが、一旦することが決まると、レイチェルは素早かっ
た。
 まずは姉妹達−神那独自の情報網−に接触して追加情報や進展がないかを調査する。
そして、それと平行してフィーラの街の様子を密やかに探る。
 その結果、いささか芳しからぬ情報が収集できた。
 一般人はまだなんにも気づいていない、すくなくともレイチェルの感覚に引っかかっ
てくるようなことはない。が、騎士と錬金術師の一部、それとセラピストの一派に不穏
な動きがあることがわかった。それも、つい先日、時間的には妃女奈の情報をレイチェ
ルが知ったあの日の前後からである。
 これは、十分異常に怪しい。月姫以外の人間に情報が漏れている可能性が非常に高い。
それどころか、もし月姫以外の人間に騎神を横取りされるようなことがあれば、神那の
立場は非常にまずくなる。それはもう、外向的に見ても、その延長である軍事的に見て
も非常に不利な状況に神那、すなわちミスカル王国は追い込まれる。
 いくら細かいことを気にしないレイチェルでも、この状況は喜ばしくない。
 同時に、妃女奈の手がかりも探してみたが、こちらも全くの手詰まり。
 気軽にはなせる月姫の友人などはいないので、当然相談などもできない。
 唯一の相談相手であった美禮は神那に帰っている。
 「うーん、困っちゃうなぁ」
 いささか機嫌が悪いレイチェルである。
 その神経を逆なでする声が、レイチェルにかけられた。
 「ふーん。君みたいな娘でも悩むんですね、ふふふ」
 レイチェルが振り返ると、そこには大きな帽子をかぶった年齢不詳の子供がいた。
 「キミ、だれ?」
 「私?名前はミラ・ハーシェリー。知り合いはミラと呼びますがね」
 ミラ、と名乗った子供は唇の両端をくっとつりあげて不適に笑った。
 「そして、ルーンに所属するウェイナーでもあります」
 レイチェルは呆然とたたずんでいる。あまりといえばあまりに突然な白昼堂々の登場
と勝手に名乗るそのとんでもなさに呆れていたのである。
 「さて」ミラはレイチェルのそんな様子には気づかず大きく両手を広げておもむろに
魔術を編み始めた。
 「ちょ、ちょっとぉ!」
 あわててきびすを返して逃げ出そうとしたレイチェルの背を爆風が襲う。
 「おや、はずれましたか」再び魔術を編みにかかる。
 「やん!」あわててレイチェルも魔術を歌って脚力を強化。騎士に匹敵する速度でミ
ラから逃げ出す。
 逃げて行くレイチェルの横を炎を核とした固まりが駆け抜ける。
 そして、レイチェルの前まで来て爆発した。
 「きゃあっ!」
 爆風に押され、たまらず転倒する。
 あたりにも人がいるのだが、さすがにフィーラでは珍しいことでもないので、無視し
てさっさと離れて行く。
 結果、立ち上がったレイチェルと追いついてきたミラのまわりに人はいなくなった。
だが、当然助けてくれそうな人もまた、いない。
 「もう、逃げられませんね、ふふふ」
 ミラはゆっくりとレイチェルの方に踏み出した。
 「なぜ我をねらう!」
 レイチェルが柳眉を逆立てた。その口調が一変している。
 「なぜ我をねらう、ミラ・ハーシェリー!答えよ!」
 一言一言に重みがある。威圧がある。反駁できない何かがある。
 「なぜって……君が月姫だから」ミラの口調が心なしか揺れる。
 「君が騎神のことを調べているから、妃女奈のことを調べているから。それが本国の
命令だから……」
 「それで、我をねらうか!」
 「そう」ミラの口調が元に戻る。
 「だから」ゆっくりと「君を抹消するんだ。いいだろう?」唇の両端のみをつり上げ
て笑う。
 「よくないっ!」レイチェルの口調も元に戻る。先ほどの言葉こそ月姫の魔術、言葉
に魂を込め、相手にぶつける。だが、それもすでに限界。
 「ぜんっぜん、よくないっ!」
 「それは残念ながら、かなえられないね。ふふ」
 「やだ!」レイチェルは再び逃げ回る。
 だが、今度はミラは宙に浮かんで追いかけてきた。先ほどのものより威力こそ落ちる
が、その代わりに連発して魔術を編み上げる。
 逃げることしばし。だが、今度は相手は宙を飛んでいる。それに対してレイチェルは
駆け足。勝負は見えている。
 「どうも、逃げる場所がなくなったようだね、ふふふふふ」
 レイチェルの背後と左右は壁。前と上はミラに制圧されている。おまけにレイチェル
は数カ所に傷を負った上、疲れ切っていた。
 かくして、絶体絶命の危機。
 「それじゃ、さよなら」
 ミラの掌に巨大な火球が生じる。路地全てを覆い尽くす巨大さだ。
 ミラが、軽く手を振るとそれはレイチェルに向かってまっすぐ突き進む。
 「きゃあっ!」
 レイチェルはとっさに防御の術を歌おうとした。だが、間に合わない。
 ミラが、成功を確信して会心の笑みを浮かべようとしたとき、火球がふっとかき消え
た。
 いや、消えたのではない。レイチェルの目の前でそれは上に向かって跳ね返り、そし
てさらに跳ね返ったのだ。ミラの方向へ。
 いかに自分ではなった術とはいえ騎士ならぬ身に跳ね返ってきたそれをよけることは
不可能。とっさに防御の術を編んだものの、爆圧による衝撃は緩和できず、意識が一瞬
遠のいてしまった。当然、維持していた飛行の術も消え、そのまま地面になすすべなく
叩きつけられる。
 「な、なぜ……」
 ミラは、レイチェルが自分を驚いた顔で見下ろしているのに気づくと、咄嗟に転移の
魔術を編んだ。
 一瞬のうちにミラの姿がかき消える。
 そして、緊張の糸が切れたのか、それを確認したとたん、レイチェルもふらっと地面
に崩れ落ちた。

 「起きなさい」彼女を呼ぶ声が聞こえる。
 「起きなさい、月の愛し子」優しく、温かい声だ。
 「んぅ、もう少し寝させて。いいよ……ね」
 「月に抱かれる者よ、起きなさい」聞きなじみのない声。だが、心地よい声。
 そう、この感覚は神那の庭でうたたねして以来。
 まだフィーラのことも良く知らず、神那の内側だけが全てだった時代。
 そう、フィーラ。美禮と一緒に遊んだ日々。外のことを学んだ日々。
 「フィーラ!」レイチェルはぱっと目を覚ました。
 誰か女性の膝を枕に寝かせられている。
 「ここは!」あわてて上半身を起こす。だが、そのとたんくらっと来てしまい、また
横になった。
 「あわてないで、もう、大丈夫です」
 レイチェルは声の主の顔を見上げた。知らない女性だ。だが、なぜか見覚えがある。
 「姉様……?」
 「そうです」女性はつぶやいた。
 「でも今はそう呼ばれる資格はないのかもしれません。あくまでも人たらんとするこ
とによって神那の姉妹でありながら、神那を離れざるをえなかったゆえに」
 「え?」まじまじと女性の顔を見つめる。
 「わたくしは」寂しげに微笑む。どこか、見覚えのある笑み。
 なにかを必死に見据えている思い。なんとしてもやり遂げなくてはならない思い。そ
して、どうしようもなく憂う純粋な思い。そんな思いを語りかける瞳。
 「羅風燕妃女奈と申します。月の姉妹よ」
 レイチェルの記憶が全て戻った。
 

===== フィベリナ・ベルアール

 フィベリナがまず行ったのは、事実の裏付けであった。
 「赤い目」の情報は確かである。その情報に間違いはない。だが、その情報が全てを
表しているかというと、そうでもない。情報の確証が取れた時点で速報性を重視して売
りに出す。追加情報が入ったならば、それも別料金で売りつける。それが「赤い目」の
やり方である。
 もっとも、その分貴重な情報も多いし、なにより虚実がほとんどない。フィーラの裏
の世界で生きているのは伊達ではないと言うわけだ。
 だが、買った情報が全てではない。
 フィベリナは必ず情報の裏付けを取るようにしていた。ほとんどの場合はあまりの希
少さに裏がとれないが、たまにとんでもない追加情報が手には入る場合もある。個人的
に情報網を張り巡らせるほどではないが、各種ある情報網にあたってみてそこから推論
する根拠を得る程度には裏事情に通じている。
 だが、今回の情報ではおそらくなにも出てはこないだろうとフィベリナは考えていた。
情報が重要なのももちろんだが、なにより思いもよらぬ情報である。偶然に知ったフィ
ベリナのような場合を除けば、「赤い目」より情報を買ったもの以外には知るものはい
ないだろうと。
 しかし、情報を一通り集めてみて、そうでもないことがわかった。
 ルーン帝国およびアーミテイツの騎士の動き、錬金術師間の不自然な動向。そして、
フリーの月姫に接触したらしい神那情報網の動き。それぞれ全くの無関係に見え、その
内容も皆目見当もつかないが、全体としてみると微かに何かが裏で進行していることが
推測できる。
 さらに(これはさすがに大量の資金を要するため、ごく一部を調査しただけだが)フ
ィーラへの騎神の出入りが激しくなっていることがわかった。それもおおっぴらに見つ
かるようにではなく、密かに出入りしているものが、である。
 どのような悪人であろうともフィーラにおいては迎え入れられる。いかなる者であろ
うともその過去を問われることはない。だから、少なくともわざわざ隠れて入国する理
由はない、通常は。
 わざわざ秘密にするほどの理由と言えば「他のものには知られたくない」が、主な理
由であろう。
 なぜ、他のものに知られたくはないのか。
 他の情報とあわせて推論してみると。
 「……他にも妃女奈を捜しているひとがいる、というわけですね」
 フィベリナは多少憮然としてつぶやいた。
 「そのとおりです」
 声はフィベリナの背後からした。
 ここは彼女の自室。他の者はいないはずである。
 「いくらフィーラにいるとはいえその推論、見事としか…ちょっと、いったいなにを
するのですか」
 声をかけられた瞬間、フィベリナはとっさに壁に立てかけてあった剣を抜き、相手の
背後につくと剣を相手の喉首に押し当てた。
 相手の反応が遅れたのは、単に相手が騎士でないからであろう。それ程までに人間離
れした反応であった。そして、それこそが騎士が騎士足る所以でもある。
 「目的は何です?」フィベリナは素早くささやいた。「返答いかんによっては首を整
形して差し上げましてよ」
 「ちょっと、待って下さい」相手は以外にも冷静な声で答えた。声や体つきから見る
に、どうやら青年のようだ。
 「私の名前はユリウス・エルバラード。アートゥン・ルーン陛下(御代永久に!)よ
り勅命を賜りまして貴女にお届け物を持ってきたのですよ」
 「お届け物?」
 「そう、最新式の騎神を完全装備、優秀な整備士付きで。そうだ、念のためにご本人
かどうか確認させていただけますか?フィベリナ"涼風の"ベルアール嬢」
 「……嘘では無いようね」
 相手がとりあえず敵ではないとわかり、フィベリナは剣を鞘に戻した。
 「ルーンの錬金術師は変人揃いと聴いていましたけれども、あなたはまた格別のよう
ですわね」
 「そうでもしなければ世の中やっていけないだけですよ。ベルアール嬢」
 「その嬢っていうのやめて下さらないかしら。年齢的にはそうでしょうけれども、非
常に不愉快だわ」
 ほぼ人の倍で成長する騎士は常人の半分の寿命と年齢しかない。
 「これは失礼を」ユリウスはゆっくりと一礼した。
 「女性に年の事を聞くほど野暮なことはありませんからね。謹んでご忠告に従いまし
ょう。フィベリナ」
 「そのほうがいいわ」フィベリナはゆっくりと椅子に腰を下ろした。ユリウスにも別
の席をすすめる
 「で、騎神を持ってきたって何のことですの、優秀な整備士殿?」
 「ユリウスで結構ですよ。いえ、実は先ほど貴女が考えていらしたように羅風燕妃女
奈嬢の事で」
 「ふぅん、もう本国まで届いていたのですか」フィベリナはすっと目を細めた。
 「ええ。それでフィーラで活動している貴女に騎神をお届けし、手伝うようにと」
 「それで、持ってきた騎神は何ですの。どうせ預かり屋にでも預けていらっしゃるみ
たいですけれど。種類ぐらいは知りたいですわ。アスケート?ロルベーア?それとも隠
密用のヴィルダーン?」
 「ルフト・シュピーゲルング、最新型です」
 「聞いたことがありませんが?」
 「つい先日仕上がったばかりなので、まだ未慣熟の機体を持ってきたのですよ」
 「それはそれは。もう立ちくらみしそうなほどに光栄な事ですわね。思わず機体がバ
ラバラにならないかどうか心配してしまいますわ」
 「それは心配いりませんよ。そのために私がここにいるのですから」
 「まあ、頼もしいこと。技術の方は大丈夫ですの?」
 「整備する技術も、魔術を編む技術も。すくなくとも勅命を賜る程度には」
 「それはそれは……結構なことですこと」


 存分に会話を楽しみながら、フィベリナ達は互いの持つ情報を交換しあった。
 そして、次の日から二人で調査を進めようと言うように決定したのだが。
 いきなりフィベリナはユリウスと一緒にいるのが不愉快になっていた。
 確かに頭は切れるし容姿もそう悪くはない。話していても機知が所々に見え隠れする
し、言葉遣いもごく穏やかである。おまけにフィベリナの背後を取ったことでもわかる
ように魔術にも長けている。
 なのに、なぜ勅命でなければすぐにでもはり倒したい衝動に駆られるのか。
 フィベリナの足の筋肉は鍛えられる一方である。
 一方、ユリウスの方もフィベリナと一緒にいるのが耐え難くなっていた。
 容姿はいい、頭の回転も速い。なにより騎士としても頼もしい味方である。
 だのに、なぜ。あのように洗練された言葉遣いで嫌みをこうも婉曲に伝えられるので
あろうか。ユリウスの得意であるのごまかしも彼女には通じない。
 ごく普通の会話を交わしているだけで精神的疲れが蓄積して行く。
 表面上はきわめて和やかながら、背後で火花を散らしている二人であった。
 「……それで、結局見つかったのはアーミテイツの騎士ですか」
 裏路地でじっと通りを見つめながら、ユリウスがぼやいた。
 「しょうがないですわ。他に特に目立った動きがなかったんですもの。それに一応水
晶剣騎士団員、大物ですわよ」
 「おお、それはなんと偉大なことか。敵国の情報を探るのもまた重要ですからね」
 「すくなくとも調整が完了するまでの暇つぶしにはなりましてよ」
 騎神はその性質上、操縦者に会わせて入念に調整する必要がある。
 「それで、その騎士殿はあの事はご存じなので?」
 「さて、一応それらしい動きはしてますけど」
 「ほお、本当に暇つぶしにはなりそうですね」
 「そう、あなたにふさわしい仕事ですわね」
 と、その時フィベリナがそっと目配せした。
 「一寸待って、お目当ての人物が来ましたわよ」
 「彼が、エドゥルド・デインですか……」
 「そ、星詠亭で月姫の似姿を見せてこの人物を捜していると堂々と聞き回った単純な
方」
 「それだけに腕は立ちそうですけど」
 ふん、とフィベリナは鼻を鳴らした。
 「噂の騎士団がどの程度のものなのか、お手並み拝見といきましょう」
 「とりあえず、私がまず先制してみます」
 ユリウスは小声でこっそりと魔術を編みに掛かった。相手を呪縛し、身体を拘束する、
最も効果的な魔術である。
 だが、すでに気づかれていたらしく、デインの姿がぱっとかき消えた。
 「危ない!」
 フィベリナが抜刀し終えたその時には、すでにユリウスの腕が途中から切り落とされ
ていた。とっさにフィベリナが引き倒さなければ、それは元々首があった場所を薙いで
いた。
 ユリウスはすでに無力化されたため、次の目標は当然フィベリナと言うことになる。
 このまま狭いところで立ち会っても不利だと判断し、フィベリナは屋根の上まで飛び
上がった。
 案の定デインもフィベリナについてくる。
 二人は巨大な屋敷の屋根の上で対峙した。
 「何の真似だ」じっとにらみ合った後、おもむろにデインが問うた。
 「別に……」フィベリナはにっこりと微笑んだ。「あなたの行動に興味を覚えただけ
よ」
 「ルーンの騎士か」デインは顔をしかめた。
 「ならば、遠慮はいらぬな、まいる!」
 フィベリナに向かって高速の斬撃が矢継ぎ早に繰り出される。
 だが、フィベリナはそれをことごとくはじいていった。
 「はっ!」
 そこで生じた隙に切り込む。
 だが、それは誘いだったらしく、デインは余裕で受け流すと、フィベリナの顔めがけ
て鋭い突きを放った。
 「!」
 フィベリナの額が浅く切り裂かれる。
 だが、デインもまた腹を浅く切られていた。
 ここまで、およそ数秒。
 再び距離を取って対峙したその時、デインは突然後ろに飛びすさった。
 今までデインがいた場所の屋根がずたずたに切り裂かれる。切り裂かれた場所にはカ
ードらしき物がは刺さっていた。どうやらカードを強化してとばしているらしい。
 それは、次々とデインを襲った。
 「おのれ、不意打ちとは卑怯な!」
 形勢不利と見て、攻撃を避け、あるいは剣ではじきながら、デインは屋根から飛び降
りていった。
 「どうやら、無事みたいね。フィベリナお姉さん」
 宙空をすっと少年がフィベリナに向かって移動してきた。そのままとん、とフィベリ
ナの正面に着地する。
 「あなた……わたくの名前を知っているの?」
 少年はよくみると15歳ほど(つまりフィベリナより年上)にみえるが、どことなく
不思議な雰囲気で、よくみると性別さえもはっきりとはしない。
 白銀の髪に灰色の瞳。髪にあわせてあるらしく身につけている物も白で統一されてい
る。
 「うん。僕も本国から頼まれた口でね。お姉さんの手伝いをしろと言うことになって
いるのですよ」少年は口元に薄く笑みを浮かばせながら答えた。
 「手伝い?」
 「そう。ああ、僕の名前はジューン・ブライア。ジューンと呼んで下さい。それから、
先ほどの錬金術師は一応応急処置をしておきました。まだ若いし体力もあるから接合手
術さえ受けられれば大丈夫でしょう」
 「ユリウスはどこに?」
 「手配して宿に移しておきました。ああ、安心して下さい。星詠亭に移しましたから、
もめ事は避けられるはずです」ジューンはなにがおかしいのかくすくす笑った。
 「そう……なら、彼のことは大丈夫ですわね」
 星詠亭はフィーラにいくつかある不文律の中立地帯の一つである。その中にかくまわ
れている限り、いかなる勢力にも手出しされることはない。ただし、当然主人の判断に
よっては宿泊を断られることもある。
 「あと、もう一人くるはずですけれども」
 ジューンは四方にカードをとばしながら言った。カードは風に乗るとすっと加速し、
たちまち視界から見えなくなる。
 「もう一人?」
 「うん。もう一人錬金術師が来るはず。ああ、来ましたね」
 しばらく待つと、先ほどとばした物らしい一枚のカードに導かれて小柄な少年が上空
から降りてきた。
 だが、その衣服は至る所で破けている。
 「失敗しました……レイチェルなる月姫を追ったのですが、返り討ちに」
 「なに!?」
 ジューンははたちまち色めき立った。彼我の能力の特性から、錬金術師が月姫に敗れ
るなど、そうあることではない。
 「いったい何があったのです!」フィベリナが詰め寄った。
 「……わかりません。袋小路に追いつめて、火球を放ったとたんに何者かによって、
それが跳ね返されてきて」
 「跳ね返された?」
 「ええ。……それまではひたすら逃げ回るだけか、反撃しても言霊程度だった相手が、
です。おそらく運動量を変化させて跳ね返した。それもおそらく火球の特性を見極めた
上で方向を見定めて2回に分けて反射してきたのではないですか」
 その錬金術師−ミラと名乗った−は空中に幻像で再現して見せた。
 「それは……難しいことなの?」魔術には疎いフィベリナがたずねた。
 「……通常火球などの防御方法はよけるか、反対向きの力を加えてやるか、方向をそ
らすかです。まあ普通はそれを避けるために爆風で巻き込むなり、軌道を不規則にする
なりしますがね、お姉さん。しかし、今回は方向をそらすだけでなく、もう一度方向を
転換させて術者に跳ね返しています」
 「つまり、その第3者はよほど熟練した使い手だという事?」
 「そう。それもおそらく魔術についてもある程度造詣の深い……」
 「月姫という訳ね」
 フィベリナが苦い口調で言った。
 「現在フィーラにいる月姫でこんな事ができそうな者は?」
 「少なくとも私の調べた限りではいません」ミラは表情を変えずに苦しげな口調を作
って見せた。「月姫の能力についてはほぼチェック済みのはずなのですが」
 「現在フィーラにいる中で、これほどの使い手。しかも魔術について知識のある人間
ね?」
 「騎士や錬金術師はまずこの件に関して神那の敵と見ていいから、それはのぞいて」
 「と、なると神那の中でも上位の人間に絞られる、というわけですね」
 「となると……」フィベリナは無意識に踵を鳴らしながら言い放った。
 「そう。いきなり大物が連れたのかもしれないですよ。お姉さん」
 「追跡子はついています。追いますか?」


===== ジューン・ブライア

 情報は、常に新しいとは限らない。
 新しい情報も現在という時がとらえどころのないように、たちまち古い情報へと代わ
ってしまう。
 それは、この場合においても同じ事だ。
 「本国で聞いたのとは全然違いますね」
 ジューンは、憮然として呟いた。
 「本国では、単に神那でごたごたがあったと言うだけでしたのに」
 ここはフィーラ、中立都市があつまった辺境への入り口。
 それだけに、裏の世界にもそれなりの繁栄があり、情報の集まる場所もある。
 だが、断じてジューンは目の前の情報を肯定したくなかった。
 「騎神ですって?冗談ではないですよ」

 ジューン・ブライアに授けられた命は神那であった動向を突き止め、当事者を確保す
ること。また、当事者が他の勢力の手に入りそうな場合は、抹殺すること。
 しかし、フィーラに来てみると、状況はそんな生やさしいものではないことがわかっ
た。
 おまけに、ついて早々両腕を落とされた錬金術師を助ける羽目になる始末。
 どうやら、アーミテイツの騎士にちょっかいを出そうとして反撃されたらしい。
 相棒の騎士がいたらしいが、そちらは今も交戦中だそうだ。
 それで、とりあえず非緩衝地帯の一つである星詠亭に彼−ユリウス・エルバラードを
かくまい、治療をしつつ現在の情勢を聞いていたわけだが。
 どこがどう結びついたのかはしらないが、神那に騎神が存在し、しかも彼はそれを奪
取する手伝いのために勅命を受けて行動している模様。
 錬金術師の掟により、ジューンもそれを手伝わないわけには行かない。
 かくして、ジューンはユリウスの残した印を手がかりにその騎士−フィベリナ−をサ
ポートすることになった。
 とりあえず魔術を編んで上空にあがり、高いところから俯瞰してみる。
 「方向は……あちら。強さは……近いですね」
 一般に追跡子やトレーサーと呼ばれる魔力のかけらが対象につけられていれば、おお
よその方向や場所は推測できる。
 ジューンはそちらの方向へ移動した。
 すると、いきなり目に飛び込んできたのは剣撃。
 フィベリナらしい女性が、アーミテイツの騎士らしき男と屋根の上でにらみ合ってい
る。
 「我命ず……」
 ジューンは懐から数枚のカードを選んで取り出すと、素早く指に挟んだ。
 そのカードを核として魔術を編み上げ、金属をも貫通する刃となす。
 「我が敵を切り裂け!」
 魔術の風にのってカードは一直線に飛んでいった。。

 フィベリナ・ベルアールはアーミテイツの騎士、デインと対峙していた。
 すでにフィベリナの額からは血が流れ、デインの腹部にも浅く傷が付いている。
 と、デインはいきなり後ろに飛びすさった。
 今までデインがいた場所の屋根がずたずたに切り裂かれる。切り裂かれた場所にはカ
ードらしき物がは刺さっていた。
 それは、次々とデインを襲う。
 「おのれ、不意打ちとは卑怯な!」
 形勢不利と見て、攻撃を避け、あるいは剣ではじきながら、デインは屋根から飛び降
りていった。
 「どうやら、無事みたいね。フィベリナお姉さん」
 ジューンはフィベリナに向かってすっと飛んでいった。そのままとん、とフィベリナ
の正面に着地する。フィベリナは騎士なのでジューンより年下のはずだが、どうしても
見かけが美しい女性なので年上扱いになってしまう。
 「あなた……わたくの名前を知っているの?」
 「うん。僕も本国から頼まれた口でね。お姉さんの手伝いをしろと言うことになって
いるのですよ」ジューンはは口元に薄く笑みを浮かばせながらフィベリナの問いに答え
た。この笑みは癖であり、特に深い意味はない。
 「手伝い?」
 「そう。ああ、僕の名前はジューン・ブライア。ジューンと呼んで下さい。それから、
先ほどの錬金術師は一応応急処置をしておきました。まだ若いし体力もあるから接合手
術さえ受けられれば大丈夫でしょう」
 「ユリウスはどこに?」
 「手配して宿に移しておきました。ああ、安心して下さい。星詠亭に移しましたから、
もめ事は避けられるはずです」ジューンはくすくすと笑った。
 「そう……なら、彼のことは大丈夫ですわね」
 星詠亭はフィーラにいくつかある不文律の中立地帯の一つである。その中にかくまわ
れている限り、いかなる勢力にも手出しされることはない。ただし、当然主人の判断に
よっては宿泊を断られることもある。
 そこにいるということで、フィベリナは安心したようだ。
 「あと、もう一人くるはずですけれども」
 ジューンは四方にカードをとばしながら言った。カードは風に乗るとすっと加速し、
たちまち視界から見えなくなる。
 「もう一人?」
 「うん。もう一人錬金術師が来るはず」
 本国からの情報では、ジューンの他にもう一人、「万が一」の場合の錬金術師がいた
はずである。ジューンはカードにそれを探させてみた。
 「ああ、来ましたね」
 しばらく待つと、先ほどとばした一枚のカードに導かれて小柄な少年が上空から降り
てきた。
 だが、その衣服は至る所で破けている。
 「失敗しました……レイチェルなる月姫を追ったのですが、返り討ちに」
 「なに!?」
 ジューンははたちまち色めき立った。彼我の能力の特性から、錬金術師が月姫に敗れ
るなど、そうあることではない。
 「いったい何があったのです!」フィベリナが詰め寄った。
 「……わかりません。袋小路に追いつめて、火球を放ったとたんに何者かによって、
それが跳ね返されてきて」
 「跳ね返された?」
 「ええ。……それまではひたすら逃げ回るだけか、反撃しても言霊程度だった相手が、
です。おそらく運動量を変化させて跳ね返した。それもおそらく火球の特性を見極めた
上で方向を見定めて2回に分けて反射してきたのではないですか」
 その錬金術師−ミラと名乗った−は空中に幻像で再現して見せた。
 「それは……難しいことなの?」魔術には疎いフィベリナがたずねた。
 「……通常火球などの防御方法はよけるか、反対向きの力を加えてやるか、方向をそ
らすかです。まあ普通はそれを避けるために爆風で巻き込むなり、軌道を不規則にする
なりしますがね、お姉さん。しかし、今回は方向をそらすだけでなく、もう一度方向を
転換させて術者に跳ね返しています」
 「つまり、その第3者はよほど熟練した使い手だという事?」
 「そう。それもおそらく魔術についてもある程度造詣の深い……」
 「月姫という訳ね」
 フィベリナが苦い口調で言った。
 「現在フィーラにいる月姫でこんな事ができそうな者は?」
 「少なくとも私の調べた限りではいません」ミラは表情を変えずに苦しげな口調を作
って見せた。「月姫の能力についてはほぼチェック済みのはずなのですが」
 「現在フィーラにいる中で、これほどの使い手。しかも魔術について知識のある人間
ね?」
 「騎士や錬金術師はまずこの件に関して神那の敵と見ていいから、それはのぞいて」
 「と、なると神那の中でも上位の人間に絞られる、というわけですね」
 「となると……」フィベリナは無意識に踵を鳴らしながら言い放った。
 「そう。いきなり大物が連れたのかもしれないですよ。お姉さん」
 「追跡子はついています。追いますか?」


===== ミラ・ハーシェリー

 ミラ・ハーシェリーは神那の月姫を探していた。
 ルーン本国の命だけでなく、錬金術師組合最上層部。つまり、<粛正帝>アートゥン
・ルーン自らの命でもあるからである。
 その命令は単純であった。
 「事件に関連のある月姫及び関係者の捕獲、または抹殺」
 捕獲の方は別の錬金術師が引き受け、ミラは主に抹殺を目的として月姫を探していた。
もちろんできれば捕獲するつもりだが……。あくまでそれは、余裕があった場合の話で
ある。
 さて、その事件であるが、<粛正帝>が出てくるだけあって相当に複雑な事件であっ
た。
 本国で聞いた話では単純なことだと思った。「神那上層部の月姫が神那より離反した
模様」という、それこそ騎士に任せておいても支障の無さそうな、ごく何でもないこと
である。
 だが、現地であるフィーラについてから情報を収集してみて、その考えは甘いと思わ
ざるを得なかった。「神那上層部の月姫が神那より離反した模様」、たしかにそうであ
る。だが、「神那上層部の月姫が神那秘蔵の騎神を持ち出して離反した模様」となると
その意味合いは大きくかわってくる。
 神那が、月姫が騎神を持っていることはおろか、その存在すら知っていてすらいけな
いことなのだ。
 つまり、これは騎士に任せておけるほど単純な事件ではないということになる。


 フィーラにおいて、月姫はそれほど珍しい存在ではない。少なくとも、フレグランス
・セラピストのようにどこにいるのかすらわからない、などということはまずない。さ
すがに騎士の数よりは少ないものの、だいたい錬金術師と同じくらいの人数は町で見か
けられる、はずである。
 だが、今宵はいくら探し回っても月姫らしき女性を見かけることはできなかった。表
通りで見つかるのは俗民のみ、裏通りの星詠亭などに足を延ばしてみても、月姫は見つ
からない。
 仕方なく今日はいったん引き上げようと考えたミラの目の前を、一人の月姫が通りか
かった。どうやら考え込んでいるらしく、全く周囲に注意を払っていない。
 (確か……レイチェルとかいう月姫ですね)
 一応フィーラにいる月姫の一通りの容貌は頭に入っている。
 (これは、チャンスですね、ふふふふふふ)
 ミラは内心の喜びを押し殺しつつ、月姫の背後にそっと回り込んだ。
 「うーん、困っちゃうなぁ」
 月姫が機嫌悪そうにぼやく。ミラは、月姫に声をかけた。
 「ふーん。君みたいな娘でも悩むんですね、ふふふ」
 「キミ、だれ?」
 月姫が振り返って不思議そうにたずねた。
 「私?名前はミラ・ハーシェリー。知り合いはミラと呼びますがね」
 うれしさのあまり思わず唇の両端だけをつり上げて笑みを浮かべてしまう。
 「そして、ルーンに所属するウェイナーでもあります」
 月姫は呆然とたたずんでいた。だが、そんなことはミラの知ったことではない。
 「さて」ミラは大きく両手を広げておもむろに魔術を編み始めた。
 「ちょ、ちょっとぉ!」
 月姫が逃げ出したため、一発目の火球は爆風で背をたたくだけとなった。
 「おや、はずれましたか」再び魔術を編みにかかる。
 「やん!」あわてて月姫も魔術を歌って脚力を強化。騎士に匹敵する速度でミラから
逃げ出す。
 ミラは、その月姫を追い越すように火球を操作、月姫の目の前で爆発させた。
 「きゃあっ!」
 もくろみ通り爆風に押され、月姫はたまらず転倒する。
 あたりにも人がいるのだが、さすがにフィーラでは珍しいことでもないので、無視し
てさっさと離れて行く。
 結果、立ち上がったレイチェルと追いついてきたミラのまわりに人はいなくなった。
だが、当然助けてくれそうな人もまた、いない。
 「もう、逃げられませんね、ふふふ」
 快心のアルカイックスマイルを浮かべながら、ミラはゆっくりとレイチェルの方に踏
み出した。
 「なぜ我をねらう!」
 突然、月姫がが柳眉を逆立て詰問した。その口調が一変している。
 「なぜ我をねらう、ミラ・ハーシェリー!答えよ!」
 一言一言に重みがある。威圧がある。反駁できない何かがある。
 「なぜって……君が月姫だから」ミラの口調が心なしか揺れる。
 「君が騎神のことを調べているから、妃女奈のことを調べているから。それが本国の
命令だから……」
 「それで、我をねらうか!」
 「そう」ミラの口調が元に戻る。
 「だから」ゆっくりと「君を抹消するんだ。いいだろう?」唇の両端のみをつり上げ
て笑う。先ほどの言葉は月姫の魔術。だが、もうその効力も消えた。
 「よくないっ!」月姫の口調も元に戻る。
 「ぜんっぜん、よくないっ!」
 「それは残念ながら、かなえられないね。ふふ」
 「やだ!」月姫は再び逃げ出した。
 今度はミラは宙に浮かんで追いかけた。そして、先ほどのものより威力こそ落ちる魔
術を連続して編み上げる。
 逃げることしばし。だが、今度はこちらは宙を飛んでいる。それに対して相手は駆け
足。勝負は見えている。
 「どうも、逃げる場所がなくなったようだね、ふふふふふ」
 月姫の背後と左右は壁。前と上はミラに制圧されている。おまけに月姫はここまでで
数カ所に傷を負った上、疲れ切っていた。
 かくして、絶対の優位となる。
 「それじゃ、さよなら」
 ミラは掌に巨大な火球が生させた。路地全てを覆い尽くす巨大さだ。一撃で月姫は灰
燼となるだろう。
 軽く手を振って月姫の方に投げた。
 「きゃあっ!」
 月姫はとっさに防御の術を歌おうとしたようだ。だが、遅い。
 ミラが、成功を確信して会心の笑みを浮かべようとしたとき、火球がふっとかき消え
た。
 いや、消えたのではない。ミラの目の前でそれは上に向かって跳ね返り、そしてさら
に跳ね返ったのだ。ミラのいる方向へ。
 いかに自分ではなった術とはいえ騎士ならぬ身に跳ね返ってきたそれをよけることは
不可能。とっさに防御の術を編んだものの、爆圧による衝撃は緩和できず、意識が一瞬
遠のいてしまった。当然、維持していた飛行の術も消え、そのまま地面になすすべなく
叩きつけられる。
 「な、なぜ……」
 ミラは、月姫が自分を驚いた顔で見下ろしているのに気づくと、咄嗟に転移の魔術を
編んだ。
 編みあがった呪文は、ミラの姿をその場所からかき消した。


 ミラは、仲間の錬金術師の連絡が来たのを幸い、そのままの状態でそちらに向かった。
場所は、彼を見つけだしたカードが導いてくれる。
 カードに従ってゆくとやがて、騎士と錬金術師がいるのが見えてきた。
 「失敗しました……レイチェルなる月姫を追ったのですが、返り討ちに」
 「なに!?」
 ミラの報告に、錬金術師−ジューン・ブライア−ははたちまち色めき立った。彼我の
能力の特性から、錬金術師が月姫に敗れるなど、そうあることではない。
 「いったい何があったのです!」騎士−フィベリナ・ベルアール嬢がミラに詰め寄っ
てきた。
 「……わかりません。袋小路に追いつめて、火球を放ったとたんに何者かによって、
それが跳ね返されてきて」
 「跳ね返された?」
 「ええ。……それまではひたすら逃げ回るだけか、反撃しても言霊程度だった相手が、
です。おそらく運動量を変化させて跳ね返した。それもおそらく火球の特性を見極めた
上で方向を見定めて2回に分けて反射してきたのではないですか」
 その錬金術師−ミラと名乗った−は空中に幻像で再現して見せた。
 「それは……難しいことなの?」魔術には疎いフィベリナがたずねた。
 「……通常火球などの防御方法はよけるか、反対向きの力を加えてやるか、方向をそ
らすかです。まあ普通はそれを避けるために爆風で巻き込むなり、軌道を不規則にする
なりしますがね、お姉さん。しかし、今回は方向をそらすだけでなく、もう一度方向を
転換させて術者に跳ね返しています」
 ミラは、当時の状況を思い浮かべながら答えた。
 「つまり、その第3者はよほど熟練した使い手だという事?」
 「そう。それもおそらく魔術についてもある程度造詣の深い……」
 「月姫という訳ね」
 フィベリナが苦い口調で言った。
 「現在フィーラにいる月姫でこんな事ができそうな者は?」
 「少なくとも私の調べた限りではいません」ミラは表情を変えずに苦しげな口調を作
って見せた。「月姫の能力についてはほぼチェック済みのはずなのですが」
 「現在フィーラにいる中で、これほどの使い手。しかも魔術について知識のある人間
ね?」
 「騎士や錬金術師はまずこの件に関して神那の敵と見ていいから、それはのぞいて」
 「と、なると神那の中でも上位の人間に絞られる、というわけですね」
 「となると……」フィベリナは無意識に踵を鳴らしながら言い放った。
 「そう。いきなり大物が連れたのかもしれないですよ。お姉さん」
 「追跡子はついています。追いますか?」

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