星詠亭奇談第二部
Second Stories

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2.「帝国の戦場」にて

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 ルーン型、あるいはアーミテイツ型の騎神と比較して神那製の姫神が違うのは外観だ
けではない。その基礎設計思想の違いは、月光騎のどの能力を取捨選択するかに如実に
現れている。未だ神那内部にあって外部への公表、及び出動の一切無い姫神だが、集団
戦はともかくとして、短期的に見ればおそらく姫神に軍杯があがるであろう。それは、
姫神が備えるただ一つの能力による。使い手の意志を忠実に、そのままの動きで増幅す
る機能。己の肉体の延長、それ以上のもの。そのために得たものは大きいが、そのため
に負わざるを得なかったものもまた数多い。
 だからこそ、姫神は使うべきではないものなのである。

                          神那姫神管理者の手記より



 普通の人間を考えてみよう、その人間に全身をくまなく覆う鎧をつける。そしてそれ
をそのまま人の10倍ほどに拡大してごてごてと余分な飾りをつけたもの。それが騎神
の大体の外観と思って間違いはない。
 それが今、陣形を組んで辺境の草原を進んでいる。
 翻るのはルーンの旗。共にはためく貫く槍の紋章は帝国騎師団第3部隊、局地制圧用
重装騎神師団の印だ。
 むろん、指揮管制用に専用の超大型ディハヌーも数台かり出されている。
 「まだ、ティスはみつからんのか!」
 「・・・2000ルーン内のすべての探知反応に異常、ありません」
 「ちっ・・・・」
 「もっと展開させますか?」
 「いや、いい」
 男はちらりと感応球に目をやった。そこには現在の陣形、各状況などが投影像として
示されている。
 「相手がどこから、どんな手ででて来るとも限らん。現状のまま警戒態勢を維持せよ」
一言、付け加える。「アーミテイツの奴らに先を越されないようにな」
 ルーン帝国はティスと称する一党を討伐するに当たり、敵対関係にあったアーミテイ
ツ皇国と一時同盟を結んだ。それは、ティスに何かが現れたからだと言われている。だ
が、ともかくこの奇妙な同盟は諸国の思惑をよそにあっさりと結ばれ、そして互いに連
動しながらの別働隊を組織してティスを目指している。
 だが、ティスの位置は今持って不明。ルーンの誇るありとあらゆる探知装置を駆使し
てもその場所は妖としてしれなかった。
 「本当に存在するのか?」
 「はっ、ティス・・・・ですか。上の方では存在をみじんも疑っていないようですが。
まあ、名前からして古遺物がらみというのはほぼ間違いないでしょうし、現在の錬金術
組合の技術で探しきれなくても不思議はないでしょう」
 「名前からして?」
 男は錬金術師の方に向き直った。
 「ああ、師団長がお知りでなくても当然ですよ。我々錬金術師の間で解読中の古語に
でてくる単語ですから」
 「で、ティスとはどういう意味だ」
 「だいぶ意味合いが異なるので正確には訳せませんが・・・希望、といったところで
しょうか」
 「希望か。何のための、誰のための希望なのだ」
 男は椅子に深く座り込んで呟いた。
 「現在を否定する、民草どもの希望。ならば、我々はどうなるのだ」
 不要になった、我々は。
 だが、最後の言葉は喉の奥にのみ込まれ、機関の音にかき消された。

                                       *

 「まったく、嫌になるくらい豪勢な軍団ですね」
 アト・フェムトは自分の騎神の中で呟いた。彼の目の先にはルーンの大隊が地響きを
立てて移動している。
 だが、探知機には何の反応もでなかったのではなかったのか。最新型の騎神をも欺く
アト・フェムトの騎神とは。
 「とはいえ、これが限界ですね」
 十分探知範囲からでたという確認をして、フェムトは感応球に指示を入力した。外界
から見ると、なにもなかった空間が揺らいだかと重うと騎神の姿が現れている。
 その騎神の両肩に装備されている奇妙な物体が突然火を噴いた。
 「・・・やはり、設定を5分間の未来にしてもこれが限界ですか。最後の一個だった
のですが、もったいないことをしてしまいました」
 両肩の奇妙な物体により騎神は5分後の世界へと一時的に移行する。故に他の方法と
組み合わせて使用すれば、現在のものに見つかることは、無い。これもまた、古遺物の
力。フェムトが賜った力の一つだ。
 「ルーンが西から探索すればアーミテイツは東から。予想だにしなかった面白い状況
なのですが、このままいけばティスは滅ぼされてしまう」
 にやり、と怪しい顔に怪しい笑みが浮かぶ。
 「それではちょっと面白くはないですね。あの方もそれを望まないでしょうし」
 騎神の姿がかき消え、あとには風のみが残った。

                                       *
                                       
 自由騎士を自称するハイデマリオは、辺境に居を構えていた。
 本来ならばティスの生き方に感銘したため、ティスに行きたかったのだが、その場所
は未だ見つからずにただこうして辺境をあてもなくさまよっているだけである。
 彼は自己防衛のためのやむを得ぬ戦い、いわゆるところの「正義の戦い」を求めてい
た。そして、ようやくそれがかなうときが来たのだ。
 悪辣なるルーンの、そしてアーミテイツの侵攻。これに立ち向かう以上の正義があろ
うか。ここで敵軍の数を一騎でも減らせば、それだけティスに進む数も少なくなる。そ
れにかなり胡散臭いやつだが、彼に共感し、ともに戦ってくれる錬金術師もいる。
 「敵ルーン軍、南100まで接近。第一次防衛網にもうすぐ接触しますよ、ふふ」ヘ
クト、というその錬金術師がそのみすぼらしい旧式の騎神より状況を報告してきた。各
防衛網にはヘクトの持ってきた怪しげなアイテムが設置してある。まずはそれで敵の戦
力を分散、弱体化させようと言うねらいである。
 「第一次防衛網、突破されました。予想よりもかなり早いですね。これは楽しみにな
ってきましたよ」感応球を通してさえ怪しく聞こえる声でヘクトは報告を続ける。
 「さすがはルーンというわけだね」ハイデマリオの血も高ぶってくる。
 「しかし、予定よりだいぶ早いですよ、このままでは望みの効果をおこすことが出来
ないかもしれませんが」
 「なに、かまわないよ。これだけ早いと言うことはたぶん防衛網を力任せに突破して
いると言うことだろう、その分消耗も大きいはずだ」

 実際、ルーン軍は苦戦していた。
 どこからともなく突如襲いかかった火球群に端を発して泥濘化する地面、騎神すら運
び去る竜巻、それから降り注ぐ雷鳴の矢と天然自然が一斉に牙をむいたかのような攻撃
が軍勢を削り取ってゆく。しかも、いずれも探知感覚にひっかからずに襲ってきている
のである。
 「ええい、罠の中心を目指せ!これだけ広大な範囲に罠を張って待ちかまえているや
つだ。遠隔で操るにも限度が在ろう。術者を叩けば、これは収まる!」
 「し、しかし、この状況では探知も困難です!」
 「わかっておるわ!だが、それを見つけなければわれわれは全滅する!なんとしても
見つけろ。ルーンの名にかけて錬金術師ども、この因を探し出すのだ!」
 だが、刻々と時間は過ぎゆき、それに応じて損害も増える。
 「駄目ですっ!見つかりません!」
 「弱音を吐いて助かるか、探せ、探すのだ!」
 「はいっ!」

 「しかし・・・見事な陣形だ。あれだけ損害を出したのにまだ軍としての体裁を保っ
ている。さすがは第3部隊と言うところか」
 「でも、もう全滅するのも時間の問題ですよ、ふふ」
 「あとは雑魚狩りが残るだけ、か。恐ろしいものだな、錬金術師の力とは」
 ハイデマリオは知らない、これが錬金術師の力でないことを。ヘクトと名乗った男の
正体を。そして、彼自身の運命も。
 第3部隊が全滅し、ヘクトの術が騎神もろとも彼を貫く瞬間まで、ハイデマリオは知
らなかった。

                                       *

 「ルーンに蹂躙されるのとどちらが幸せだったんでしょうね」
 ヘクトとよばれていた男は戦場を見て呟いた。
 「でも、理想主義はいらないんですよ・・・あの方にはすでにそれがあるのですから。
忌々しいことですが、今はまだ、ティスがあるのですから」
 通常は常に結界を張って防御していなければとうてい生き延びられないほどに苛烈な
辺境の大地、それもいまは生き物一ついないほどに静かになっている。
 「このような世の中を貴女は望んでいるのですか・・・このつまらない光景を」
 ゆっくりと振り返って偽装を解いた彼自身の騎神を見上げる。
 「あなたはでてくるべきではなかったのですよ、そうすれば私も出会わずにすんだ」
 視線がしばし荒れ果てた戦場の上をさまよう。
 「でも、今は面白いから従いますよ。あなたに・・・・少なくともあなたがあなたに
なるまでは」
 そして、アト・フェムトはその場を去った。


                                       2


 <彼女>は悩んでいた。
 いや、悩んでいたというのは正確ではない。内面で二つの存在がせめぎ合いを繰り返
していたのだ。その、どちらをとるかで、表面に現れる行動は異なる。
 存在がもう一方の存在を静かに圧倒しようとする。それに抗する側は全力を持ってそ
れを排除しようとする。だが、表に見えるはただ静かなる湖面のような穏やかさだけ。
 実際には思い悩んでいる暇など無いのに、するべき事は、成さねばならないことはそ
れこそ山のようにあるはずなのに、今の<彼女>にはなにもできない。なにも語れない。
 ひたすらに現状の赴くままにいることだけしかできない。
 今は内と外、はたしてどちらが優勢なのか。だが、どちらにせよそのことを知るもの
は少なく、現在の<彼女>を知るものはさらに少ない。
 あり得てはならない存在とその存在を知らずに接触してしまった存在。そして、同一
化しようとするその在りようの主導権を握ろうとする両者。
 はたして現在の<彼女>の内面はなにを考えているのか。思考の果てでなにを思い、な
にをなそうとしているのか。
 神とよばれる存在ならばそれを知ることも可能であろう。だが、この閉ざされた世界
に神はいない。いるのはただ、器神のみ。

                                       *

 「姫神・・・ですって?」
 美禮は水奈の顔を正面から見つめた。深紅の瞳に浮かぶ表情をみきわめようと。
 「はい、このお話はご存じでしたでしょうか?」
 「いいえ、初耳ですわ。騎神ならばしっているのですけれど」
 水奈は呪(しゅ)を紡いで周囲の音を閉め出し、さらに声を潜めた。
 「これから話すことは神那の中でもごく一部しか知られていないことです」
 水奈の瞳がまっすぐに美禮を見つめている。水奈にとってこれが唯一の手がかりなの
だ。彼女、美禮こそが。今日は水奈の横に椎羅はいない、これから話すことに彼女を巻
き込むわけには行かない。我が儘かもしれないが、椎羅は知らない方がいい。
 「ルーンが騎神を開発してアーミテイツがそれを盗み出した、ここまでの経緯はご存
じですわね」
 「ええ、騎士達はそうは思っていないようですけれども」
 美禮は軽く肩をすくめた、そして付け加える。
 「そして、神那にも同様の騎神があるということもね」
 「それが違うのですよ。ルーンが開発したと言うことも、神那が騎神を持っていると
言うことも。全部真実を覆い隠すための歪んだ情報にすぎないのです」
 「え?」
 「まずなにからお話ししたらいいでしょうか、そもそもの始まりはこのフィーラに、
いえこの辺境に存在している遺跡によります」
 「古代の文明でしょ。様々なものが発掘されるも未だ名称不明、詳細不明。ただもの
すごい技をもっていたということ。そして私たちの祖先」
 「そう、でもその存在がどうして滅びたのか、ということもわかっていないですわね、
一般的にはですけど」
 「説はいろいろありますわ、気候の変動、戦争による自滅・・・」
 「そう、それとは別の有力な説もありますけれども、とにかく謎の原因で彼らは滅び、
そして新しく0から作り上げられた文明が私たちの文明。でも、すべてが滅んだわけじ
ゃなかったんです。騎士が生まれ、錬金術師がや月姫が生まれ、セラピストも生まれる。
しっていましたか、錬金術師と月姫、もとは同一の存在だったそうですわよ。その存在
のあり方は同じ、ただ成長の方法が違うだけ」
 「それは初耳ですわね、で?」
 「美禮さん、あなたは騎神という存在をどう思いますか?」
 「なんですって?」
 美禮は急な質問に眉をひそめた。
 「単なる道具にしては強大すぎる力。無論文明の発展と共にやがて現れてくるべきも
のなのかもしれませんが、なんの基底となるものも無しにルーンと神那、二つの全く異
なる場所で同じようなものが現れるのはおかしいと思いませんか」
 「つまり・・・」
 「そうです」水奈はうなずいた。
 「ルーンも神那にも、その原型となるべきものがあったのです。すなわち、残ってし
まった過去の遺産が」
 「それが・・・姫神?」
 「いえ、姫神はたんなる出来の悪い模造品にすぎません。騎神と同じく、それはただ
原型のごく一部を再現しただけ、ただその再現したものが少しばかり違っただけ。それ
が姫神と騎神の差です。騎神は騎士あるいは錬金術師の能力を最大限に生かすように造
られ、そして姫神は月姫の肉体機能そのものを拡大したもの」
 「その・・・元になったものって?」
 「そこまでは私にもわかりません。私がわかっているのはただそれが神那とルーンに
1体づつ残されていたと言うだけ。そして・・・」
 「妃女奈姉様が持ち出したのはその原型となるもの」相手の目をまっすぐに見つめる。
「つまりは月光機と呼ばれていたものがそれをいうわけね。神那で造られたものではな
く、神那にあったもの」
 水奈はこくりと頷いた。
 「そう、レイチェル姉様の居所を知ることが必要になるわけですわ」

 「それで、美禮姉様に聞いて何かわかったの?」
 水奈と合流した椎羅はまっさきに首尾を聞いた。
 「ええ、ティスに関する有力な情報を聞くことが出来ましたわ」
 にっこりと微笑んで水奈は答えた。最暗部に椎羅をまきこまない、という水奈の決意
を椎羅は知らない。美禮と交わされた会話も、その会話の含む意味も。
 だから、水奈はただこういった。
 「いきましょう、椎羅姉様。妃女奈姉様がきっとお待ちですわ」
 「そうですわね。もう準備は出来てますし」
 二人は辺境へと向かった。

                                       *

 「不思議な運勢をしていますねぇ」
 レフトに声をかけたのは、酒場の隅にいた占い師らしき男だった。
 「そうさ、色々と変わった人たちがいるフィーラでも滅多にお目にかかれない不思議
な運勢ですよ。戦乱が起こる、そしてその渦中に飛び込むことになるでしょう。おお、
人が感じられる。運勢を変えるほどの人が。色々なところに行くでしょう、色々な人た
ちに出会うでしょう。でも、それは運勢ではないかも。時代の趨勢はまだ民草にはない
から」
 「なんですってぇ」
 レフトはゆっくりと占い師の方を振り返った。
 「お代はいりませんよ」
 カズハ、と名乗った占い師は興味深そうにレフトを見つめた。
 「暇つぶしに覗いてみたらこんなに面白そうなものが見えたので、つい。損得抜きで
見てもみたくなりますよ」
 「え?」
 レフトは顎に手を当てて考え込んだ。先ほど辺境の護衛にと月姫に雇われたばかりだ。
しかし、彼女たちがその「運勢を変える人」とはおもわないし、確かに月姫の例に漏れ
ず美人ではあるが彼にとって運命を感じるほどの相手とも思えない。
 「第一、僕は当事者になるつもりはないんだけどねぇ・・・」
 ぽつりと呟いた言葉が耳に入ったらしい、カズハが不思議そうな顔をしていた。
 「いや、何でもないです。で、その運勢を変えるほどの人ってなんです?」
 「それはわかりませんよ」
 カズハはゆっくりと立ち上がった。
 「よければ側にいてどのような運勢なのか見たいところですが」
  レフトは突然の申し出に警戒しながら答えた。「それは無理ですよ・・・カズハさ
ん。このグリーンレフト、只今は姫様達の護衛と言うところでして・・・・」
 「それでは、仕方がないですね」
 軽く肩をすくめてカズハは席に座り直した。
 「残念ですが、一緒についていくのはあきらめることにしましょう」
 「・・・恐縮です」
 なんとなく詫びつつ、レフトは向きを変えるとその場を立ち去った。
 後に残されたのはカズハ一人。
 「面白い運勢は数在っても、不思議な運勢は珍しいですね。とくにその人自身ではな
く周りに巻き込まれてしまった運勢は」
 一人、カードをめくりながら呟いた。よく混ぜた一枚を選んで、表に返す。
 そこにかかれていたのはなにもないカード。ただの白紙。
 「・・・なにもないのは解放か、それとも行き止まりか。あるいは単なる未定か、す
べてを含んだ答えか。はてさて」
 一人虚空に問うてみるが、その問いは酒場のざわめきにまぎれ、誰の耳にも届かなか
った。


                                       3


 糸は絡まる、くるくるくると。
 縺れ、解れ、どうしようもなくなるまで。
 それでもなお、糸は絡まる。
 くるくるくる、くるくるくると。
 混じり合い、すれ違い、互いのいとも知らずに。
 糸は、なおも絡まり続ける。

                                       *

 アクルックに限らず、フィーラの夜は長い。いや、夜にこそフィーラの真価があると
いうべきか。ルーンやアーミテイツの諜報が夜の闇を音もなく渡り歩き、「姉妹達」が
密やかにその細やかな感覚の網を伸ばす。遺跡への入り口ではなく、厳正なる中立地帯
としてでもなく、情報の集積地としてのフィーラがそこにはある。
 また、夜は若者達の時間でもある。表通り、裏通りを問わず、色とりどりの明かりを
ともして人を呼び込む数多の店先、その店先から漏れる嬌声や蛮声。貧しきものはちら
と目をやるだけで寂しそうに路地裏の暗がりに潜り込み、裕福なものはよりよいものを
提供するであろう秘密の場所へと急ぐ。そして、それほどでもない大勢のものはそれぞ
れに夜の楽しみを満喫する。裏でなにが起こっていようとも変わることのない時間、そ
れもまたフィーラなのである。
 だが、やはりそこにも闇は存在する。光強ければ、それ故にまたやみわだも濃い。だ
からこそ、暗躍の余地もあるのである。裏在ってこそのフィーラなのだ。
 だが、そのような事情は一部のものにとっては関係ないようだ。
 「貴公、ティスへの侵攻に賛同するか?」無骨な男の口調で言い放ったのは、黝い髪
の少女。無造作に白い衣を纏った姿はそれなりに魅力的ではあるが、口調がそれを裏切
っている。おそらく、まだ神那をでたばかりで社会常識というものをあまり知らない月
姫なのであろう、その黒い瞳は何事もおそれることなく、ただまっすぐに相手の瞳を見
すえていた。ただ、いきなり入ってきて店の中を見渡すや、気弱そうな錬金術師に駆け
寄っていきなり強烈な質問をするあたり、通常の次元では計り知れぬ、ある意味におい
ては世慣れているといえるのかもしれない。
 一方、出会い頭に突然その問いをうけた自称「普通の人間」こと錬金術師クレランス。
「さてねぇ、どう答えたらいいでしょうか」と、とりあえず意味無く呟いてみる「一応
錬金術師であるから、組合の義務としてここはやっぱり賛成した方がいいでしょうかね、
それとも私はただの人間ですから、と無理矢理に逃げるのもいいですね。ああ、でもや
っぱりここは素直に答えるべきでしょうか」とぶつぶつと呟き続ける。その間ずっと、
月姫の視線は彼に突き刺さっていた。やはり、この男も尋常ではない。錬金術師という
自覚がないのであろうか、それとも単にとぼけようとしているだけだろうか。
 「で、どうなのだ。答えるか、そうでないか」
 で、結局は視線の圧力に負けて答えることにしたらしい。
 「・・・私は中立ですよ。ティスがどうなろうとも、知ったことではありません」軽
く視線を逸らす「まあ、錬金術師としては賛成と言うべきなのかもしれませんが、あい
にく私は不精者でして。積極的に賛同しようとは思いませんよ。まあ、逆らうわけにも
行きませんから、今はこれが精一杯の態度と言うところですね」
 「さようか。なら、貴方・・・・」月姫は断りもなく正面の椅子を引き寄せると、ク
レランスを威圧するかのように手を組んだ。「私に雇われてみぬか?」
 「はぁ?」クレランスは当惑した。当然であろう、いくら変人の多いといわれる錬金
術師組合出身とはいえ、ここまで変わった人物の対処までは教わらなかった。すくなく
ともいきなりやってきて無礼な質問を浴びせ、答えを強要してからいきなり雇おうとい
う人はいなかった。
 「私が貴方を雇うというのだ。無論、雇うからには金銭は払う。その様子から見ると
暇なのであろ?ならば私に雇われた方がいいと思うぞ。さすがに危険報酬まではあまり
おおくは出せぬが、その他の面、宿代や生活費程度ならばたいていのことはこちらで持
つ。悪くはない条件だと思うが。どうだ?」
 当然ながらクレランスはますます困惑するだけであった。
 「なに、基本的には私の護衛や手伝いをしてくれればいいだけだ。別段遺跡に乗り込
もうとかそういうつもりはないので安心しろ。契約期間についてはとりあえずしばらく
雇ってみてから互いの合意の元に正式に決めると言うことでどうだ?」
 「いえ・・・あの・・・」
 「なんだ、まだ不足なのか?その姿では別段他に当てがあるわけではないのであろ、
それに私のような麗しい女性に雇われるのは嫌だというか?」
 「あのぉ・・・・」
 「なんだ、男のくせに弱気な。貴方の態度がまあ許せる範囲だから雇おうと言ってい
るのに。まったく、近頃の連中はみんな軟弱のくせに好戦論ばかり並び立てて困る。そ
れとも貴方もその輩なのか。まあ、貴方の様子ならばそのようなことはなさそうである
が。私のやろうとしていることを考えると万が一、ということもあり得るからな。念に
は念を入れて人選はしておきたいのだ。で、結局どうなのだ?受けるか、それとも受け
ないのか?男だったらしっかりきっぱりと迅速に決めてくれ」
 「・・・謹んで雇わされていただきます」クレランスはがっかりと肩を落とした。
 「おお、そうか。受けてくれるか、それは喜ばしい」月姫は一人はしゃいでいる。こ
の様子だけ見ている分には普通に見えるのだが・・・・。
 「で、貴方の名前は何というのだ?」
 「・・・クレランス・マクマリアといいます。一応、ルーン帝国錬金術師組合(ウェ
イナーズ・ギルド)所属。しかし・・・まあ。私は至って普通の人間ですよ。あまりお
役に立てるとは思いませんが・・・」
 「さよか」クレランスの抗議はあっさりと無視された。クレランスはますますテーブ
ルに突っ伏す形となる。
 「・・・で、あなたのお名前は?」
 「私か?」月姫は静かに立ち上がった。髪を掻き上げると、耳たぶについている水晶
の飾りが揺れて透明な音色を奏でる。「そうだな・・・・玉鐘とよぶがよい!」

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Presented by SilverRain